無数の「花」を携えて、書家の華雪さんが生まれ育った京都で個展を開くという。幼い頃から憧れた井上有一の書と横並びで。
「京都の居心地の良さは本当によく知っているつもりだし、そこで育まれてきた、私の中に染み込んでいるものもたくさんあります。ですが良くも悪くも小さい京都の町で行う久しぶりの展示には、ほんの少し緊張もありました」
これ以前の京都での個展がもはやいつだったか思い出せないと話す華雪さんが2022年夏に開催した展示「華雪の書花100展」。その口火を切ったのは、書家の井上有一や作陶家の黒田泰蔵などの作品を蒐集し展示する「ギャラリー京都寺町 菜の花」会長の高橋台一氏だった。
高橋氏と華雪さんは15、6年来の付き合いだが、今まで井上有一の書との共演の話は一度も出たことがない。「何を思われたのかわからないし、お聞きしなかったけれど」と、展示の思惑を思案する華雪さんに対して高橋氏は「対決だなあ」と一言呟いたという。
幼少期より大いに影響を受けた先達の作品と、自分の作品を並べることの有り難さは想像に難しくない。しかし並べてみると不思議とそこには穏やかな風景が広がっていた。見る人に、書き手ふたりの比較を求めることもなく、「花」がのびのびと、居心地良さそうに咲いていた。
「井上有一から受け取っているもの(影響されたもの)は多分にあると思っていましたが、並べてみると思っている以上に違いがあって、それを逆に面白く感じました」
華雪さんが書を書き始める時、そこにはある考えがある。彼女の言葉を借りると「選んだ字に対して誠実であること、それが『今の必然』であること」だと言う。
「書のはじまりは字を決めることからだと思われますが、実のところ、それは最後の段階なんです。まず気になることがにちにち起こる。そのことと結びつく字ってなんだろう、と頭の端でずっとこう考える。だいたいこれかな、と見えてきたら字典で文字について調べ始めますが、ちょっと違うと感じたらまたそこで手放します。そうしてゆっくりと、一文字を決めてゆきます」
にちにち、すなわち日々の暮らしは心がかろやかに弾むこともあれば、重くのしかかるようなことも起こる。ひとつひとつの事象を細分化し、感情を掘り下げていくのではなく、一歩引いた目線で捉える。そうして過去12年間、書き続けてきた字がある。
「日記の代わりに、『日』という字を毎日書いています。この字を見つけた時は『でかした』と思いました。生活を串刺しにするような言葉を探そうとしていて、ようやくそれが見つけられたような気がして」
日課として厳しく自分に課しているわけではなく、ときに書くことを中断したり、再び書き始めたりするなかで、ただひとつ守っていることがある。一度書いた字を捨てない。そう心に固く刻んでいる。
30歳で上京するより前、華雪さんが京都で生活していた頃には数年周期で過去の作品を整理して、ひとまとめに捨てていたという。膨大な量の半紙、紙、雑紙を車に詰め込み、まるで谷底のようなゴミ処理場まで持ち込み、自分の手で打ち捨てていた。
「そのとき、私はなにを捨てているんだろうと考えました。もしかしたらそれは見たくない自分だったのかもしれないし、こうして自分の人生を編集しているのかもしれない、と」
古い友人からは何度もその行為を止めるよう忠告を受け、華雪さん自身も「残すべきだったのかもしれない」と後悔の念を覚えたこともある。その裏返しとして、今に至るまで「日」を書き続けているのかもしれない。華雪さんはそう振り返る。
「失った何かを取り戻すための行為なのか、自戒なのか。字を書くことに対する姿勢のようなものを深く考えながら向き直しているのかもしれませんね」
書の世界に足を踏み入れたのは7歳の頃。今でも母のように慕う玉記久美子先生は「かたちの奥にある言葉を書く」ことを大切にするよう、幼い華雪さんに何度も問いかけた。「どうしてその字を書くのか、選んだのか」と。なんとなく、という回答は師を満足させるものではなかった。言葉が熟すまでいくらでも時間が与えられる。師の口ぶりはいたってやさしく穏やかだったが、その分だけ毅然とした厳しさが際立った。退路も進路もなく、ただ言葉だけが、華雪さんのゆく手を切り拓いてくれる手立てだった。
「思えば私がやっていることはその頃からずっと変わらないような気もしています。『なぜ私はこの字を書くのか』と問いを自らに立て続けること。それをすると同時に、言葉にできないものを私は避けているかもしれません」
かつて谷底に捨てるに至った作品たちは、まさにそれが理由だったのかもしれないという。突発的に書いたもの。自分の中にそう長く残らないもの。その時に書くべき「必然」が至極薄かったもの。
華雪さんの選んで捨てる行為は、井上有一を記録したポートレートと重なる部分がある。写真家・繰上和美が撮影した井上は坊主頭に着流しという出で立ちで、書の紙束を乱雑なまま抱え、今まさに自らの作品を焼却しにゆく後ろ姿である。人によっては「殺気立っている」と形容されるこの写真は、10代にも満たない、幼い華雪さんに一種の驚きをもたらした。
「その頃は好奇の意味で畏怖したのかもしれません。ですがもしかすると、選び取ることの怖さを感じていたのかもしれない。今、そう思います。選ぶことの残酷さ。それはエゴの塊なのかもしれませんから」
この写真に出会うのと前後して、すでに自分の「作品」を書いていた華雪さんはすでに選び、捨てる行為をしていた。書き終えれば良し、とことは単純に終わらない。1枚を選ぶまでが作品づくりの過程である。
部屋中に作品を広げて、椅子の上から眺め、作品を選ぶことは「半年分の自分自身を選別する(=半年もの時間をかけて、書き続けた書はまさに自分の分身とも言えることから)」こととも同意だったという。
「今でも一番言葉にできないことかもしれない。選る(よる)ということは。そうならば、この作業にこそ自分が現れているのかもしれないですね」
言葉にできないあわいは確かにある、と話す一方で、それを明らかにするため言葉にするのだ、と華雪さんは静かに、けれども揺るがない強さをもって言い切る。「言葉にできないものの輪郭さえはっきりと見えない状況が、私にはなんだか心地が悪いから」と。
井上から受け取らなかったもののひとつに「書のスタイル」、すなわち大きく重い筆を取り回して引きずるようにして書く姿勢がある。それは華雪さんの力の限りや筋力、リーチできる範囲を考慮し、現在のように「自らの体を使って書く」ことを選んだからである。
しかし書の世界に入って40年、今までのようにはいかなくなってきた。「身体と精神がまさか乖離するなんて思っていなかった」と静かに笑う彼女は今、自分の書について新たに考え直す時期に差し掛かっている。
「かつて手放した、重い筆を引きずる、引っ張る井上のようなスタイルもあるのかもしれないと思うようになりました。これだけ長くやっていると変化を飲み込みながらやっていかざるを得ないし、やっていくんだろうなと。続けるってなんだろうな、と切に思うようになってきました」
どうであれ「嘘がつけない状況でありたい」と彼女は続ける。
「装うことがさまざまにできる時代になっています。けれども、その中で『本質とはなにか』と思う問いに対し、『それを見る術はある』ということを、私は伝えたいのかもしれません。私自身が人や自分、さまざまなものの本質を問うていきたいから」
彼女が今まで選んできたものは、彼女の生とともにしなやかに変わっていく。その流れを汲みながら、ここに行き着くまでの彼女の作品づくりを思う。
筆を叩きつけるように、肢体を力一杯紙に打ちつけ、絞り出すように息を吐き出し、声を漏らす姿。そうした作品を制作し終えたあと、彼女は肩で息をしながら、しばらく茫然自失としている。鑑賞者もおもわず息を殺す。
かつて心理学を学んだと言う彼女が、書を介して通じようとするものとはなんなのだろう。私は、彼女の言葉を、これからも待っている。
【ヴァンジ彫刻庭園美術館開館20周年企画展】
日時:開催中〜2022年12月25日
場所:ヴァンジ彫刻庭園美術館
https://www.clematis-no-oka.co.jp/vangi-museum/exhibitions/1355
華雪
1975年、京都府生まれ。幼い頃に漢文学者・白川静の漢字字典に触れたことで漢字のなりたちや意味に興味を持ち、文字の成り立ちを綿密にリサーチし、現代の事象との交錯を漢字一文字として表現する作品づくりに取り組むほか、文字を使った表現の可能性を探ることを主題に、国内外でワークショップを開催。