僕の頭はパンのことでいっぱいだった。
今回のE-Bikeツーリングのプランは、鎌倉から戸塚に向かい、それから旧東海道沿いに大磯まで走るコースだ。大磯は、趣のある海岸沿いの町で、歴史上さほど重要な場所とは言えないが、明治時代の政治家の多くが好んでこの地に別荘を構えていた。避暑地である大磯で、彼らは豪勢な晩餐会を開き、国家の命運を左右することについて議論し、重大な決断を下していたのだ。今は、村上春樹が居を構えていることで、大磯の知名度はぐっと上がった。でも僕にとって最も重要なことは、大磯には湘南エリアで最も美味しいパン屋さん、Lee’s Breadがあることだ。
サイクリングは、鎌倉の大仏を背後から拝める地点からスタートした。木々の間から風合いのある大仏の渦巻き頭のてっぺんが見える。一月後くらいには木々から葉が落ち、大仏の後ろ姿が完全に拝めるはずだ。今は、11月なので、大仏の姿は残念ながらあまり見えない。
抜けるような青空。古い地図によれば、かつては川が流れていた長谷5丁目の低地を走る。今ではその川はコンクリートで覆われてしまっているが。耳を大地につければ、もしかして川のせせらぎが聞こえるだろうか。道路沿いにでは制帽をかぶった子供達が100メートルくらいの長さに連なって、教師たちに見守られながら、飛び跳ねている。
モーニングコーヒーを飲むために、お気に入りのPOMPON CAKES BLVD.に向かったが、残念ながら閉店中。鎌倉、湘南エリアでは何事も予定通りにはいかないようだ。元々の定休日や営業時間はあまり関係なく、お店が開いていたり、閉まっていたりするので、まあしょうがないかという気持ち。このエリアで一番美味しいベーグルを供する名店の一つであるべーぐる もへあるに立ち寄ったが、この店も閉まっていた。やれやれ。
そんなわけで僕は朝ごはんを諦めた。戸塚を目指して走るルートの最初の見所は大船。大船までの行程ではモノレールの線路の下を走る。僕はなぜか昔からモノレールというおかしな乗り物が大好きだ。地上数メートルの高さにあり、家の寝室の窓から数メートルしか離れていない距離で、どこから続いているのかも分からないゴツい線路が敷かれている。その上を、まるで嵐が通り過ぎるみたいにゴーっと車両がうねり走る。そこには優雅さなどない。モノレールは、郊外のさほど特徴のない光景に思いも寄らない色を添えている。今でも、モノレールはごく普通の線路よりもいいとは思わないし、実用性についても疑問だが、とにかくその存在を眺めるのが楽しいのだ。
大船に近づくと、木々の間から大船観音の頭部が見える。鎌倉を行き来する電車の西側に座ると毎回ちらっとその姿を垣間見ることができる。
戸塚までの行程でそのほかに語るべきものはない。小学校に沿って曲がりくねった裏道があり、小さな竹藪、作業着を着た女性が小さな畑で働いていたり、小さな公園で双子らしき60代の男性2人が子供のようにブランコを漕いでいたり、プレハブの家屋、小ぎれいなコンクリート造りの家屋があったり………よく見慣れた光景だ。道中、一番驚いたのは戸塚の手前で新しい高速道路がいつもの景色を遮っているのを目にした時だ。コンクリートの柱礎が柱を支えている形状は、進化した人類が作った古代遺跡のように見える。柱はやがて道路を支えるようになり、横浜、川崎方面に向かい毎日何万台もの車がこの道路を行き来することになるだろう。
さして気持ちが盛り上がることもなく戸塚に到着した。駅は特に大きいわけでもなく、建築的な観点からも特筆するものは何もない、ここは東京に通勤している会社員が、東京よりも安価な価格で土地を購入して居を構える場所だ。ここからかつて東京と京都を結ぶ2つのメインロードの一つであった東海道を走ることになる、もう一つのメインロードは中山道。僕はこの両方を徒歩で制覇したことがある。
僕は自転車に乗りながら、東海道を歩いた旅のことを思い出していた。あれは丁度一年前のこと。戸塚から藤沢までの光景は、「パチンコ街道」と称したくなるものだった。走行した道路は新たな幹線道路で、チェーン展開しているドラッグストア、ラーメン屋、パチンコ屋が多数連なっている。徒歩で移動しているときは、来る日も来る日もこの光景と対峙することになる。このマンネリの極地のような光景を喜ばしいと感じる人もいるかもしれないが、気が変になりそうになる人も多いのではないか。自転車に乗って、時速20kmで移動しながらこの光景を眺めると、このパッとしない通りもなかなか味わい深いものがある。それにしても車が多い。かつてこの街道では、車輪がある荷馬車は道路を傷つけるので走行できなかった。400年前は、人は馬や駕籠に乗って日本中を行き来していたのだ。
かつて、藤沢は巡礼者にとって分岐的なポイントだった。ここから引き続き東海道を西に向かうものと、江ノ島にある神社を目指して南に向かうものがこの地で交差した。僕は境川を跨ぐ歴史的な名所である遊行寺橋で一休みした。今日は内陸の西方に向かって自転車を走らせ、藤沢の繁華街は避けて通った。昔からの街並みはとても静かで快適だった。小体な自転車屋さんや甘味処が軒を連ねている。車の往来は「激流」から「ポツポツ」に変わり、だいぶ快適になった。
そこかしこに松の木があり、ここがかつては松並木と呼ばれていたことを思い出す。一本の木が通りに醸し出す情緒の大きさを思う。現代において伐採されてしまった木々にはどんな情緒があっただろう、とその喪失感に胸が痛む。化学工場などに隣接する場所に生き残った松の木はとても貴重に思える。
やっと大磯に到着した。不思議な魅力を放つこの場所は、僕がこれまでサイクリングで通り過ぎて来たエリアとは真逆の町だ。大磯の魅力を語ることは難しい。これまで、この町を訪れたのは2回のみで、最初は2020年の夏だった。ともかく洗練された雰囲気がある。木々が美しく繁り、荘厳な家屋が多く、工場の煙突は見当たらない。町を見下ろす浅間山がこの地にパワーをもたらしているかも知れない。もしここに来る機会があれば、僕が言っている意味を理解できると思う。駅は小さいが、活気に満ちており、至る所で生命力が感じられる。
今は午後の早い時間で、この時期にしては珍しい暖かさだ。お腹がすいたし、コーヒーも飲みたかったので、僕は65年前に建てられた古民家を改造したカフェ、Saraに向かって自転車を走らせた。店名は、女性の名前であるサラにちなんだわけではなく、日本語の「さらり」が由来だ。この形容詞はこの店の雰囲気をよく捉えていると思う。Saraは、ひと気がなかったけれど、ありがたいことにお店は開いていた。僕はアイスクリームが添えられたワッフルとコールドブリューのアイスコーヒーをオーダーした。今の季節は、夕刻まで太陽の輝きがまばゆい。店内は黄金色に輝き、日差しを浴びながらお店の看板犬、14歳の芝犬のルッコラがうつら、うつらと眠っている。一瞬、死んでいるのかと思うくらい寝入っていたが、よく見るとしっかり息をしていてホッとした。ルッコラは誰からも愛されているが、彼女が果たして周りのことをどれだけ理解しているかは不明だ。ルッコラは、よろよろと歩いては横になり、またよろよろと歩く。あまり撫でられるのは好きではないようだが、彼女にはひょうきんな可愛さがある。美味しいアイスコーヒーとワッフルを楽しみながら、この店では素敵な午後の時間を過ごすことができる。
僕は生き返ったような気持ちになり、外に飛び出した。大磯には有名な旧街道松並木がある。木陰を自転車で走るのはご機嫌だ。近くには化粧坂と化粧井戸がある。この通りはコネチカット郊外の中流家庭が住むエリアを思い起こさせる。薄目で見れば、僕の故郷って感じだ。
しばらく走って駅を通り過ぎると、旧島崎藤村邸がある。可愛らしく優雅な平屋の家屋だ。
さらに進んで農地を過ぎると、広大な大磯城山公園があり、通りの向こうには旧吉田茂邸が見えてくる。西洋建築と日本の建築をミックスしたセンスのいい大正時代の建築物だが、贅を尽くした空間でもある。旧島崎藤村邸とは対極的だ。巨額の資金が投じられ、少々派手すぎる装飾が施されたこの建物には当時の政治背景が色濃く投影されており、居心地は今ひとつだが、2階から眺める大磯のパノラマビューは絶景だ。太平洋の彼方には、伊豆半島が見える。
大磯で、政治家たちがかつて住んでいた家のすべてを見学しようとすれば、1日潰れてしまうだろう。僕の目的はそこではなく、ともかくパンが食べたかったのだ。今は午後4時で、Lee’s Breadは間も無く閉店だ。僕は駅の方角に猛然と走り始めた。よかった、間に合った!
僕がPAPERSKYの取材で来たこと告げると、カウンターの向こうの女性が怪訝な顔つきで僕を見た。僕は背を向けて働いているLeeを見つけて話しかけた。マスクをつけたLeeは、戸惑いながらカウンターから出てきた。僕は以前この店でパンを買ったことがあるし、彼女と長話をしたこともある。少し話をすると、「あー、鎌倉の人ね」と言いながら僕を思い出してくれた。彼女は俄然おしゃべりになり、フレンドリーになった。サウスカロライナ出身者らしい人柄だ。Leeは日本で23 年間パンを焼いている。平日は、1:30amから夕刻まで通しで働いており、このペースでは5日間が限界だと彼女は語る。毎朝、彼女の夫が先にキッチンで仕事を始め、数時間後に彼女が到着し、サワードウブレッドの焼き上がりをチェックすることから、1日12時間の仕事がスタートする。僕は3:45pmに店に到着し、店外でLeeと話をしていたが、その後もパンを求めるお客さんが絶えなかった。
僕は4分の1にカットされたサワードウブレッドを買った。このパンは間違いなく、僕が今まで世界中で食べたパンの中で最高レベルだと思う。サンフランシスコのTartine Bakery and Caféを思い出す味だ。Leeのパンの皮を触ると、ボンゴのベース音が連想される。あたたかく、愛を感じるタッチなのだ、オフホワイトのパンの中身は、信じられないくらい軽い食感で滑らかな口溶けだ。思わず口いっぱいに頬張り、その美味な酸味を味わいながら、噛みタバコのように貪り食べたい衝動に駆られるが止めておいた。すっかり満たされ、同時に疲れ切った僕は大磯で一泊することにした。
翌朝に僕が飲んだコーヒーは、今まで日本で味わったなかでも最悪の味だった。場所は言えないが、ともかく、まずかった。2口すすっただけでうんざりだった。あえてお店にそれを伝えなかったのは、飲めない代物を客に提供している時点でその店はもうダメ、希望は見えないからだ。呪われた泥のような一杯が今回の楽しいサイクリングの旅にちょっと落ち込みをもたらしたが、僕はこの後に最高のコーヒーを飲むことを目標に据え、気分を一新して自転車に乗った。
海岸沿いを東に走りながら、鎌倉に向かった。道中、柳島キッチンではライムの風味が効いたフィッシュバーガーを味わった。沿岸幹線道路沿いの歩道には松の木が生い茂っており、右側に広がる海、左側では見慣れた街並みを眺めながら、枝の隙間から漏れる夏の日差しを受けながら、この松の木のトンネルを思わせる通りを走り抜けた。頭に思う浮かぶことは一つしかない。美味しいコーヒーを飲むことだ。
GREEN STAMPS COFFEEは、まるでファッションショーの途中で友だちのリビングルームに移動しているような、賑やかで忙しい店だった。隅にいる年配の女性2人がネズミくらいの大きさの犬を抱いている。20代の女性4人が壁に掛けられた古着を持って、トイレに入り、驚くべき速さで試着して出てくると、周りから歓声が上がった。僕はここのコーヒーで、今朝のコーヒーで汚れた舌を洗浄することにした。このカフェは、湘南エリアのコーヒーソサエティで有名な山田一歩さんが営んでおり、彼は逗子にPOOLSIDE COFFEEというカフェも経営している。GREEN STAMPS COFFEEは、辻堂海浜公園から湘南工科大学へ向かう通称「サーファー通り」沿いのカフェで、2018年に開店して以来、地元の人の溜まり場になっている。また、ランチタイムには、隣接したPizzeria Toninoから、打ち抜きにした壁の小窓越しに絶品のマルガリータピッツァをオーダーすることができる。東京の名店、Leaves Coffee Roastersが焙煎している豆を使用しているGREEN STAMPS COFFEEのコーヒーは絶品だ。お店のドリンクメニューはどれも美味しい。デニス・ジョンソンの「Angels」を読みながら、僕はオーツ・ミルク・ラテを飲むと、身体の中に平穏が広がり、今朝飲んだコーヒーのトラウマはどこかへ消えていった。
ここから10分ほど北に回り道をした場所にある27 Coffee Roastersも注目の名店だ。この店の希少なスペシャリティーコーヒーのセレクションは素晴らしい。おそらく、個人経営のお店では、最も充実したセレクションだと思う。僕は、この数週間、ミギエル・アルバラードがホンジュラスのコーヒー農園で育てているコーヒー豆を焙煎したゲイシャブレンドを愛飲している。毎朝、このコーヒーを飲むことが僕の喜びだ。
GREEN STAMPS COFFEEは僕にとって癒しの空間だ。バックポーチで、僕は山田さんと本やコーヒーについて語り合った。そろそろ日が暮れつつあり、出発する時間だ。グルテンフリーのチョコレートブラウニーを食べた後、あのネズミのような犬に別れを告げて(僕はルッコラが恋しくなっていた)自転車に乗った。
藤沢から、美しい夕陽に照らされた江ノ島を通り過ぎ、鎌倉高校前駅(漫画「スラムダンク」で一躍有名になった)の裏の急な坂を登り、夕陽をゆっくりと眺めた。彼方の海上には小さなスクーナー船が見える。9月のような暖かさで、もやがかかっており、富士山の姿はあまり見えない。僕は再び自転車で走り出した。振り返ってみると、今回のツーリングコースで目にしたものはなかなか興味深いものだった。モノレール、農園、新しい高速道路、パチンコ屋が軒を連ねる東海道、エレガントな町である大磯、帰りの海岸沿いの道….まるで日本全体の縮図を見たような旅だった。リュックにはまだLee‘s Breadのパンが数切れ残っているから、家で北海道バターをちょっぴりと、海塩を少しふりかけたトーストを楽しむことができる。これ以上に美味しいものってあるだろうか。暮れなずむ街を見つめながら、僕は家路についた。
愛車について
僕は2020年9月に京都でBESV PSA1を1週間レンタルして、すぐにこのE-bikeの虜になった。4月に自分用(色はマットブラック、言うまでもなく限定モデル)を購入して以来、走行距離は1,000キロを超えている。自分がこれまで手に入れた物の中で、このE-bikeほどの大きな幸せを与えてくれた物は数えるほどしかない。本当に愛すべき魅力にあふれた自転車だ。BESV PSA1に背中を押されてこのコラムの企画を考案し、BESVの社長の協力を仰ぐことにした。偶然にもBESV JAPANのオフィスはPAPERSKYの編集部のすぐ近くにあった。BESVの方々は喜んで協力すると言ってくれた。BESVはこのコラムのスポンサーになってくれているが、僕は彼らから無償の提供物を一切もらっていないし、鎌倉の自宅にBESVの無料貸与車が送られてきたわけでもない。だから皆さんのご想像通り、このコラムに登場する僕の愛車は本当に純粋で、損得の一切絡まない自転車なのである。