東京都文京区に、祖父、父、子の3代で甲冑作りに取り組む職人一家がいる。戦時中の武士が攻撃から身を守るものとして、そして自らの権威を象徴し着飾る美術品として甲冑は作られ、現代では子供の成長を願う祝い品「五月人形」が広く知られる。古くから続く日本の文化、そして世界の文化遺産を今後も残すべく、奮闘する25歳、加藤拓実さんの元を訪ねた。
そもそも、どうしてこの業界に興味を持ったのか。
「僕の場合、師匠は祖父であり、父です。弟子入りといっても、血縁関係のない人の元に就くというよりは、生まれたそのときから祖父、父の作った甲冑に囲まれて育ち、家族として生活を共にしてきました。なので小さい頃からものづくりへの憧れはあり、ものを作る楽しさも感じていました。高校受験時には甲冑師になりたいと決意も固まっていたので、父と同じ工芸高校への進学を選択しました」
とはいえ、父・美次さんの長男として生まれ、周囲から家業を継ぐことを期待されたのでは。またそのことに抵抗などなかったのだろうか。
「洗脳ではないですけど、やっぱり小さい頃から継いでくれたら嬉しいんだろうなと僕が悟る場面は少なからずありました。別の仕事についてもいい、と自由な選択肢は常に与えてもらったのですが、周りから『3代目』と声をかけてもらうことも嬉しく、この業界への憧れは小さい頃からありました」
高校卒業と同時に加藤鞆美の3代目として師事し、今年で8年目を迎える。入門前と後で、拓実さんの目に職人の世界はどのように映るのか。
「弟子入りして社会と関わりを持って初めて、甲冑が思っていたよりも世間で知られていないことに気付きました。だからこそ、今後の鞆美を背負って立つ者として、どうすればいいか悩む日々でもあります。やはりお節句は自分の親に買ってもらって飾るものなので、親の世代が買ってもらっていないとまずその子供はその文化すら知らない。それに少子化や、部屋が狭くなっていることも重なって、年々需要が減っています。なので五月人形という枠組みを越えて、ものづくりやインテリアという大きな分野で見てもらえないかと施策を練っています」
3代目として、そして今後この業界を担う若手として、日々打開策を考えながら祖父と父の元で修行を続ける。常に右隣には祖父が、向かいには父が座り、全工程を手作業、そして細かな分業で、入念に作り上げていく。改めて、拓実さんにとって家族であり、師匠であるお2人の存在についても伺った。
「家族なので、普段は一般的な家庭と何も変わらないと思います。呼び方も『じいじ』と『お父さん』です。ただ仕事となるとあらゆる面で教わることがあり、偉大な師匠です。同時に、越えなくてはならない大きな壁だとも感じています。祖父は自分の足で全国を渡り歩き、技術と知識を身につけてきました。80歳を超えてもなお、現役で資格を持ち伝統工芸士として活躍しています。尽きることのない探究心には頭が上がらないですし、この文化を残すことへの覚悟と強い責任感を感じます。父はその技術を祖父から受け継いで、自分なりに適応させてきました。応用力や学ぶ姿勢を見習いたいです。祖父が今でも現役なように、甲冑の世界は覚えることが山ほどあります。弟子入りして8年が経ちますが、ようやくスタートラインに立ち始めたかなと。まだまだ、追いつくことに集中する日々です」
拓実さんの提案もあり、現在はオンラインショップ、ホームページの開設を計画中。甲冑は海外からのコアなファンも多く、将来的には国外での販売やイベントも視野に入れる。
「まずは技術をしっかり受け継いで、鞆美の3代目としていいものを作り続けたいと思います。手作業で作り上げるからこそ、機械には出せない風合いが僕たちの甲冑にはあります。なのでストラップやブローチなど、同じ材料を使い形状を変えて、インテリアやアクセサリーとしての甲冑も今後は展開していきたいです。海外進出も目標のひとつですが、2人がこれまでできなかったことに積極的に挑戦していきたいです」