Story 03 | 阿波踊りの魅力を伝えたい
高瀬大輔は生粋の徳島っ子で、阿波踊りと関わりの深い家系に生まれたが、若いころは阿波踊りにまったく関心がなかった。古くさい地域の習慣だと思っていたという。23歳のころ、職場の上司に誘われて、なんとなく「うずき連」に入った。それから11年経ったいま、高瀬は何年も修練を積んだ踊り手だけが許される阿波踊り連の、最前列で踊る踊り手になっている。「なぜかすぐにできるようになりました。身体にリズムが染みこんでいたみたいで」
高瀬は初めて参加した踊りで、予想もしなかった圧倒的な経験をした。彼は見物人たちから自分にいっせいに注がれた視線を覚えている。「みんなの視線が集まり、そのエネルギーが流れこんできました。すさまじい興奮とともに徳島で阿波踊りを踊ることの意義を知らされた。あの経験は一生忘れないでしょう」。それから11年が過ぎ、高瀬はいまや、国内外の阿波踊りの催しに参加するようになった。日本の皇室が英国に外交訪問した際に、徳仁親王とチャールズ皇太子の前で踊りを披露したこともある。
高瀬は地元で公務員として働いている。取材中、彼は徳島の阿波踊りの現状について語った。「徳島の人々は徳島にはなにも外に誇れるものがない、文化遺産もないといいます。でもここには阿波踊りがある。ただ近くにありすぎて気づいていないだけなのです」。踊りをつづけるうちに、いつのころか阿波踊りの発展に尽くしたいと思うようになった。「徳島県が阿波踊りを観光につなげようと思うようになったころから、パフォーマンス的な色合いが濃くなっていきました。生き物であるといわれる阿波踊りはつねに変化していくものであり、近年の徳島阿波踊りはショー的な魅せる阿波踊りが主流になっています。徳島では観客が演舞場に来て、有名連の踊り子たちのすばらしい踊りや演出に見入っているように感じますね。徳島で誕生した阿波踊りはいまや全国に広まっています。1950年代に徳島県出身の人々が東京・高円寺で始めた阿波踊りでは踊り子と観客との距離が接近しているせいか、踊っていると観客とより一体感を感じます。100万人以上の見物人が高円寺のせまい商店街につめかけ、見物したり、一緒に踊ったりして、楽しい時間を過ごしています」と高瀬は語る。
阿波踊りの魅力を日本中に伝え、地元の人々が誇りを持つには、どうすればよいのだろうか?「阿波踊りは、徳島で生まれた誇るべき伝統文化です。自分たちの地元に受け継がれた伝統を伝承しながら、つねに新しいものを追い求めていく。そのバランスをうまくとっていくことこそが、阿波踊りの発展につながると思うのです」
< PAPERSKY no.38(2012)より>