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重たい曼荼羅の下に座る|山伏ー山の行者たち 3

見上げると、いまは亡き人々の写真が隙間なく貼られた壁が目に入る。念入りに仕立てられた装束に身を包んだ昔の山伏たちが、畳の上に座っている人を見下ろしている。ここは、星野博が営む宿坊の大広間。修行者を泊めるための宿だ。現在、 […]

03/11/2020

見上げると、いまは亡き人々の写真が隙間なく貼られた壁が目に入る。念入りに仕立てられた装束に身を包んだ昔の山伏たちが、畳の上に座っている人を見下ろしている。ここは、星野博が営む宿坊の大広間。修行者を泊めるための宿だ。現在、出羽三山の周辺にはここを含めて30軒ほどの宿坊がある。何百年前にはこの10倍あった。
「ご年配のお客さんはまだ来てくださいますが、若い人たちは来ませんね。若いお客さんを呼ぶためにどうすればいいのか、正直まったくわかりません。これが時代の流れってものなのかもしれませんね。いまの人たちには山伏のやりかたが理解できないのでしょう」。
星野博は社交的でよく話し、宿坊の主にうってつけの人柄である。17代続く山伏の家の末裔で、数多くの信者たちに複雑な修験道の信念体系をわかりやすく説いてきた。宿坊は日本全国にいくつもあるが、山伏の宿坊は普通の宿坊とは違う。そこは修験道の道場であり、精神を鍛える学びの場でもある。
「宿坊が重要なのは、山伏の文化への入り口だから。知識を次の世代に伝える場所だからです」と星野は言う。彼は訪れる信者たち──社会的、精神的に成長するために修行を求めてやってくる一般の人々──を、師として、ガイドとして、指導者として導き、出羽三山をめぐりながら祈祷のしかたや神聖な山伏の道具の使いかたなどを教える。
星野が祭壇のある部屋に入っていく。仏教の祭壇は仏壇と呼ばれるが、神道では神棚である。星野が見せてくれた修験道の祭壇には、お神札、祈祷書、ろうそく、線香、木彫りの仏像、しめ縄、ほら貝など、仏教と神道の神聖な要素が寄せ集められている。各道具の意味を次の世代に伝えるためには、信者たちに宿坊に来てもらうしかない。だから星野は毎年、関東まで「営業」に出かける。江戸時代から宿坊の主たちが担ってきた役割である。出羽三山の山伏修行に興味をもつ人を少しでも増やすため、公民館などでささやかな講話会を開く。
人々を説得するのは、難しいことではない。1950年代まで北日本では、山伏とともに山で修行をしなければ一人前の男と見なされなかったほどである。
私たちが宿坊を発つ前に、星野は壁に掛けられていた2枚の写真をはずした。1枚は白黒、もう1枚はカラーである。白黒のほうは、上半身裸で、巨大なしめ縄を運ぶ星野の父親だった。カラーのほうは星野自身。やはり上半身裸で、父親とまったく同じ巨大なしめ縄を担いでいる。私たちはこの2枚の写真に、修験道の曼荼羅を見る。これまで無数に繰り返されてきた生命、死、再生のサイクル。星野のような人々が、過去から未来へと受け継いできたものだ。
「この仕事で私がやりがいを感じるのは、歴史の重みです。重いという感覚がいいんです」。
掲載記事:Papersky No.34 より
Photography & Text: Cameron Allan McKean, Coordination: Lucas Badtke-Berkow