To The Coffee Valley リオの繁栄を物語る、コーヒーの谷へ

ブラジル経済を支え続けるコーヒー豆の生産。その中心地はかつて、リオの山々にあった。18世紀、香り高いコーヒーを生み続けたコーヒーバレーの山々を訪れ、この国が辿った激動の歴史の一端に触れる。 1世紀半もの間、コーヒー豆の生 […]

07/04/2016

ブラジル経済を支え続けるコーヒー豆の生産。その中心地はかつて、リオの山々にあった。18世紀、香り高いコーヒーを生み続けたコーヒーバレーの山々を訪れ、この国が辿った激動の歴史の一端に触れる。
1世紀半もの間、コーヒー豆の生産量で世界一の座をキープするブラジル。この礎となったのがリオの北部にある街、ペトロポリス一帯だった。僕らは今でも「コーヒーバレー」と呼ばれるこの地域を目指し、かつての繁栄の残り香を感じながら、豊かな緑のエリアを巡った。ペトロポリスの歴史を伝える施設「IPHAN」では、地元の栄華についてイザベル・ボーシャがこんな話をしてくれた。
「16世紀にミナスジェライス州でゴールドラッシュ、17世紀にはダイヤモンドが発掘されるとブラジル経済の核が、リオを中心とする南東部に移った。でもこの繁栄は次第に勢いを失い、ブラジルは経済の中心となる何かを見つける必要に迫られたの。18世紀に入るとヨーロッパではナポレオンの侵攻によってポルトガルが窮地に陥り、宮廷をリオデジャネイロに移すことになった。そこでリオにやってきた皇帝、ペドロ2世はコーヒー豆の生産に力を入れることにしたんです」 
豊富な水、十分な日照時間、暑すぎず寒すぎない適度な気温、そして400~900mという最適な高度。コーヒー豆の生産に最高の条件がそろったペトロポリスは一気に農場の数を増やし、アフリカからの労働者によって、繁栄の道を歩む。
起伏のある丘を越え、向かった帝国博物館では、18世紀にこの地がブラジルの中心部であったことを証明する数々の展示に触れた。200年以上も前、当時の皇帝一家がペトロポリスの景観や抜群の気候を気に入り、この地をサマーパレスとして利用。華やかな宮殿のまわりにはさまざまな商業施設や豪華な住宅が自然と集まり、ブラジル一の先進的都市に変貌した。今でも当時の建築は大切に残され、歴史の香りを感じさせるたたずまいだ。
そして僕らは、この街の西方に位置するヴァソーラスというエリアに移動した。ここには1820年から約60年間、ブラジルのコーヒー生産を牽引した農場がひしめき合っていた。現在ではこうした農場が建屋を保存しながら、レストランやホテルとして営業。一面、緑に覆われた美しい避暑地となっている。6代に渡って約200年、農場の土地を維持してきたマルセロ・ストレヴァは言う。
「コーヒーの木を植えるとだいたい25年程度で土が駄目になる。だから豆を生産することは一時、諦めたんだけど、この土地の歴史を伝えたいと思って、この場所を開放している。来訪者にはコーヒーの歴史を伝えながら、食事などもできるようにしているんだ」
そんな話をしながら、小さなコーヒーの苗木を見せてくれたマルセロ。丘の土を総入れ替えし、新たにコーヒー生産を始めるんだとか。果てしない重労働ではあるが、それだけこの地の歴史継承を重視し、再び風味高いコーヒーを世に送り出そうと懸命だ。次に訪れたコーヒー農場「cachoeira grande」ではオーナー夫妻にこんな話も聞いた。
「ここにはかつて300人の奴隷が働いていたけど、奴隷制度が廃止されて農場経営は難しくなった。その奴隷制度廃止を検討する会議がここで開かれたんです。現在、この建物や家具、装飾品を維持するのは簡単じゃないけど、ここはブラジルの成り立ちを物語る場所。だから私たちはこの土地を大切にしている」
ポルトガル、フランスやドイツからの入植者が支配した広大な農場の跡地。そしてアフリカから連れてきた膨大な奴隷たちの痕跡。さらには、奴隷解放に尽力したイザベル女王の功績を伝える史跡など。僕らはこの山々を巡り、ブラジルを支えたコーヒーの歴史、その背景に潜む、時代の激変ぶりを体感した。イパネマやコパカバーナの海辺では決して見えなかった、リオのもうひとつの表情。旅に、よりいっそうの深みとコクが増したような気がした。
» PAPERSKY #50 Rio de Janeiro | Bossa Nova Issue