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作家・村上春樹|NOMADIC SPIRIT 旅の心

村上春樹は流浪の旅人である。神戸から東京へ、東京からヨーロッパへ、そしてアメリカへ。そうこうしているうちに、故郷の日本が悲劇に見舞われた。神戸での阪神大震災、そして東京での地下鉄サリン事件。その直後、村上春樹は故郷に飛ん […]

09/05/2013

村上春樹は流浪の旅人である。神戸から東京へ、東京からヨーロッパへ、そしてアメリカへ。そうこうしているうちに、故郷の日本が悲劇に見舞われた。神戸での阪神大震災、そして東京での地下鉄サリン事件。その直後、村上春樹は故郷に飛んで帰った。5年前、彼に初めて会った瞬間から、私はこの才能溢れる芸術家に惹かれた。彼と同様に私自身も放浪癖を持つ物書きだが、私は村上春樹とは逆のルートを辿り、アメリカからヨーロッパへ、そして日本に行き着いた。今回のインタビューの3日前に私は東京に入り、インタビューの翌日早々に、村上春樹は飛行機で旅立った。
※ このインタビューは『ペーパースカイ』No.10(2004年)に掲載されたものです。 取材・文:ローランド・ケルツ
ローランド・ケルツ(以下、R):自国から遠く離れた場所で執筆活動をする価値とは? あなたはなぜ、多くの小説を海外で執筆するのですか。
村上春樹(以下、H):僕は『ノルウェイの森』をギリシャのいくつかの島とイタリア(ローマとパレルモ)で書き、『ダンス・ダンス・ダンス』を主にローマで書き(一部はロンドン)、『ねじまき鳥クロニクル」の前半をニュージャージー州プリンストン、後半をマサチューセッツ州ケンブリッジで書きました。『スプートニクの恋人』はハワイのカウアイ島で書き、新しい作品『海辺のカフカ』は前半部をカウアイ島、後半部を日本(大磯という小さな海辺の町)で書きました。短編集『地震のあとで』は東京の真ん中にある静かな一軒家(出版社の所有していた家)で。僕は小説を書くことについていえば、かなり遊牧民(nomad)的な要素を持っているのかもしれない。だから僕の中では、ひとつひとつの作品が、それぞれの場所に結びついているという印象があります。
H:僕にとっては、小説を書くというのは、すなわちある種の非現実と関わりを持つということなので、ある程度日常生活から離れることが必要になるんです。だから多分僕はどこか「違った場所」に行って仕事をすることを求めるだろうと思う。日本でもアメリカでもヨーロッパでも、仕事に自由に集中できる場所であれば、特にどこでも構わないような気がする。現在のところはカウアウ島の北部が仕事場としては気に入っています。毎日雨がよく降るので、仕事に集中できるということもあるし。
R:場所自体は執筆に影響を与えますか? それぞれの作品を振り返ってみて、イマジネーションが場所によってどのように色付されたのか、その色の違いなどを自覚したりしますか?
H:場所柄が作品に影響するか? よくわからないけれど、あまりしないんじゃないかな。机に向かって集中して、いったん自分の頭の中の世界に入ってしまったら、それがどんな場所であれ、僕にとってはほとんどどうでもいいことになってしまうから。
R:ということは、物理的に旅をしているだけでなく、自身の中へ、イマジネーションとイマジネーションが支配する世界への、抽象的な「精神の旅」にも出ている、ということになるのでしょうか? 以前にも、イマジネーションへの旅は危険がいっぱいだ、とおっしゃってましたよね。まるで井戸の中へと落ちていくようなものだと。あなたの小説やエッセイにも度々、登場する比喩的表現そのものですよね。どのような“危険”が待ち受けているのでしょうか?
H:旅行の目的は(ほとんど)すべての場合—-paradoxicalな言い方ではあるけれど—- 出発点に戻ってくることにあります。小説を書くのもそれと同じで、たとえどれだけ遠いところに行っても、書き終えたときには元の出発点に戻ってこなくてはならない。それが我々の最終的な到達点です。しかし我々が戻ってきた出発点は、我々が出ていった時の出発点ではない。風景は同じ、人々の顔ぶれも同じそこに置かれているものも同じわけです。しかし何かが大きく違ってしまっている。そのことを我々は発見するわけです。その違いを確認することもまた、我々の目的の一つです。
R:旅とアートが、精神の旅(トリップ)によってつながる、ということでしょうか?
H:そういう意味合いにおいて、旅行をすることと、フィクションを描く事は、似通った体験でもあります。最初は近い場所、便利な場所、誰でも知っている場所を訪れることから始めて、だんだんもっと遠い場所、もっと深い場所、もっと暗い場所、もっと危険な場所へと、我々は足を伸ばしていくことになります。サーファーがもっと遠くの、もっと大きな並を求めて、沖合に出ていくように。そうすることが、なんといっても、旅行者と小説家のnatureなんです。
R:トラベル・エッセイストのピコ・アイヤーは「村上春樹は”東洋と西洋をまたぐ”ことのできる最初で唯一のシリアスな日本人作家だ」と発言しています。そして、あなたの作品には”グローバル・コンシャス(世界規模の意識)”を感じることができる、とも。これは相当に高い評価だと思うのですが、神戸出身のひとりの男がグローバルな作家だと言われる由縁はどこにあると自分では考えますか?
H:僕は僕の心のなかに深く暗い豊かな世界を抱えているし、あなたもまたあなたの心のなかに深く暗い豊かな世界を抱えている。そういう意味合いにおいては、たとえば僕が東京に住んでいて、あなたがニューヨークに澄んでいても(あるいはティンブクトゥに住んでいても、レイキャビクに住んでいても)、我々は場所とは関係なく同質のものを、それぞれに抱えていることになります。そしてその同質さをずっと深い場所まで、注意深くたどっていけば、我々は共通の場所に—-物語という場所に—-住んでいることがわかります。
R:その世界はどんな世界ですか?
H:我々の地下には長いトンネルがめぐらされていて、僕らは真剣にそうしようと思えば、そして幸運に恵まれれば、どこかでめぐり合うことができるのだ。
グローバルという言葉は、僕にはあまりぴんとこない。なぜなら我々は特にグローバルである必要なんてないからです。我々はすでにmutualなのであって、物語というチャンネルを通せば、それで十分であるような気がするんです。
R:あなたとの深いつながりを感じたのは、「ノルウェーの森」の最初のページを読んだ時でした。ストーリーのナレーター役であるハル(ワタナベ)がドイツのハンブルグ空港に着陸しようとしている飛行機に乗っていて、若かりし頃に出会い、恋に落ちた女性を思い出して、精神的に弱っていく様子が物語の冒頭で描かれていますが、あなた自身、飛行機に乗るときはどんな気分ですか?
H:僕は飛行機に乗るたびに“I Can’t Get Started”という古い歌の出だしを思い出します。
I’ve been around the world in a plain / Settled revolutions in Spain…
という歌詞。だから飛行機にのると、僕はいつもスペイン戦争のことを考える。スペイン戦争のことを考えると、アーネスト・ヘミングウェイのことを考える。ヘミングウェイのことを考えると、飛行機事故のことを考える。だからそんな歌について考えるのはもうよそうと思うのだが、ついつい考えてしまうんです。
R:飛行機は退屈ですよね。飛行機の中で執筆したりしますか? 移動の最中はどうしていますか?
H:ときどき小さなDVDプレーヤーを持って行って、古いジャン・リュック・ゴダールの映画を見ていることおあります。なんといっても、古いゴダールの映画は機内でほとんど(まったく)上映されないので。
R:さて、明日にも早速、海外に向けて飛行機に乗り込む予定ですよね? 少し単純な質問で恥ずかしいのですが、現在、自宅のある東京以外で最も好きな街を3つあげるとしたらどこですか?
H:1)マサチューセッツ州ボストン:中古のジャズ・レコードを収集するには、最も便利で充実した都市だから。プラス、おいしいインド料理店も多く、サミュエル・アダムズのドラフトがどこでも飲める。ボストン・マラソンが走れるし。
2)スエーデンのストックホルム:素晴らしい中古レコード店がある。僕は三日間毎日底に通いつめました。店主もかなりマニアックだったな。プラス、ストックホルムの地下鉄では乗客のほとんど全員が携帯電話で話をしていて、シュールレアリスティックだった。
3)オーストラリアのシドニー:人々はみんなほとんど印象のない服を着ているんだけど、食べ物とワインはとてもおいしい。不思議です。プラス、水族館と動物園がユニークで素晴らしい。マイナス、ただしまともな中古レコード店はひとつもない。
 
村上春樹
兵庫県神戸市生まれ。大学進学のために東京へ上京し、のちに『ピーター・キャット』というジャズ喫茶をオープンした。デビュー作は1979年に出版された「風に歌を聴け」。5作品目となる「ノルウェイの森」はベストセラーとなり、人気小説家としての地位を確立した。これまでヨーロッパ、アメリカ、そして日本と住処を転々とし、プリンストン大学とタフツ大学で教鞭をとったこともある。現在までに発表した小説やノン・フィクションは30作品に登り、そのうち10作品はすでに英語に翻訳されている。英語版11作目となる「海辺のカフカ」は2005年に出版予定。このインタビューの数週間前、日本語最新作を入稿したばかり。