“みちのく”とは、東北の福島、宮城、岩手、青森にまたがる地域のことを指している。漢字では“道奥” と書き、後に“陸奥” と表記が改められでも、それらの土地が江戸から続く道の奥にあり、本州という陸の奥であるという名前の由来は変わらない。
しかし、本州最奥の地は、そこから広がる豊かな北方世界への入口でもあった。この地で発見されている数々の縄文遺跡がそれを証明している。たとえば4500年前の大きな集落跡、三内丸山遺跡などはその代表格である。三内丸山遺跡からは黒曜石や琥珀、アスファルトなど、産地が遠方となる遺物が多く出土している。それは、当時の交易が広範にわたっており、津軽海峡を望むこの場所が遠隔地交易の拠点となっていたことを物語っている。
今冬、ぼくは青森県を旅しながら、そうした縄文遺跡の多さに驚かされた。例えぱ、下北半島の付け根にある六ケ所村には先史時代の遺跡が、小さいものを含めて、なんと117カ所も発見されている。縄文ばかりでなく、平安時代くらいまでの住居跡も点々と見つかっているので、村がある海岸沿いの土地は人類の古い記憶を有してきた暮らしやすい場所なのだろう。
六ケ所村にある泊の港を訪ね、長靴を履き、頭にほっかむりをしたおばさんやおじさんたちと話をした。港には鮭が薫製にされて吊され、カレイや鮫の子どもなどが網にかかっている。数組の漁師夫婦は次の日の漁のために、網を補修しているところだった。夜中の3時半に起き、暗いうちから海に出て、朝になって帰港し、捕れた魚の荷揚げが一段落すると網の手入れをする。道具などは違えども、海辺の生活は縄文時代から変わっていないのかもしれない。
村の周辺で発見された鼻曲がり土偶や遮光器土偶はシベリアやアラスカの先住民文化との繋がりを感じさせる。出土した遺物の類似性などをあげるまでもなく、青森の北に連なる北海道、サハリン、カムチャツカ、極東シベリア、アリューシャン列島、北米大陸の北西沿岸部などは、狩猟と漁労の形態、動物を解体するときの作法や儀礼の形、受け継がれる神話などいくつもの共通点を見いだすことができる。
北は津軽海峡、西は日本海、東は太平洋に隣接した青森は三方を海に囲まれている文字通り陸の奥だが、それを日本列島という島の連なりから捉え直すと、みちのくこそ本州の突端にある岬として、北方地域への架け橋となる柔軟な移行地帯であることがわかるだろう。その先に広がるのは北米大陸に繋がる広大な太平洋や、中国大陸に繋がる日本海という海辺世界への入口であり、さらに二つの海が交差する日本列島の十字路として、四方八方からやってくる多様な人々の通り道だったに違いない。
青森からはじまる北方世界への広がりを考えながら、東洋と西洋ではなく、北方と南方という軸に置き換えた世界をぼくは想像する。そこにあるのは隣接する国家同士の繋がりではなく、中心性をもたない場所と場所の多重な集合体であり、境界線をもたない柔らかなネットワークである。世界とは、本来そのようにできていたのではなかったのか。
掲載記事:ペーパースカイ No.20 Life Knowledge vol.7 (p.108-111)
Aomori
青森から広がる北方のネットワーク|石川直樹、青森の旅
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11/05/2010