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ルーマニアの野犬とボスニアの奇跡|世界の郷土菓子をめぐる旅 006

盗難という不運な出来事は、僕の意気込みまでも奪ってしまった。iPhone、カメラ、ノートパソコンを失ってしまい、僕は途方に暮れていた。思い切って3ヶ月間伸ばしたヒゲを剃っただけでは気持ちは晴れず、facebookの投稿に […]

11/04/2015

盗難という不運な出来事は、僕の意気込みまでも奪ってしまった。iPhone、カメラ、ノートパソコンを失ってしまい、僕は途方に暮れていた。思い切って3ヶ月間伸ばしたヒゲを剃っただけでは気持ちは晴れず、facebookの投稿に書き込まれる日本からのコメントだけが僕を前に進ませてくれた。時たま見かけるネットカフェに立ち寄っては、モールス信号みたいな細切れの投稿を続け、東へ向かって少しずつ歩みを進めた。ボスニア・ヘルツェゴビナを出てセルビアの首都ベオグラードに着くと、まずは必要最低限の機能だけがついたロースペックなノートパッドを購入した。中国製の聞いたこともないメーカーのもので、1万円以内という破格の値段に見合った、使いづらくってしかたない仕様だった。次に4万円くらいでNikon製のデジカメを手に入れて、取材の準備は整った。合計で5万円にもなる金額といったら、1日500円生活を続けてきた僕にとっては、財布を持つ手が震える程の大金だった。とりあえず郷土菓子研究が続けられるだけの応急処置は済んだ。けれども、困ったことに、僕はすっかり現地の人を信じられなくなってしまっていた。民家を訪ねても恐怖心で呼び鈴を鳴らすことができず、ホステルに宿泊する生活が続いた。1泊1000円のホステルに泊まれば、それだけで500円を越えてしまう。僕はリミッターが外れたみたいに、金額を気にせず郷土菓子や郷土料理を食べるようになった。「どこかでお金が尽きたら……」なんて不安を感じることはなくて、ただレストランで食事ができる幸せを味わっていた。ジートという好みの郷土菓子にも出会えた。それなのに、どことなく物悲しくも感じていた。これまで現地の人と一緒に語り合いながら、家庭料理を食べ続けていたから。セルビアに来てから僕は毎晩ひとりでモヒートを飲んで過ごしていた。カメラのメモリーには食べ物の写真ばかりが溜まっていった。
セルビアを抜けてルーマニアとの国境までやってきた。自転車で国境を越えるのも、これで5度目となる。ゲートの前には三匹の大きな野良犬がじゃれ合っていて、大量の荷物を抱えて自転車を漕ぐ僕を見つけると、一斉にこちらを向いて吠え始めた。盛大な歓迎に僕はすっかりビビってしまって、自転車を降りて「敵ではないですよ」と心の中で唱えながら、そろりそろりとつま先歩きで野良犬たちをやり過ごした。それにしてもこの国は野良犬が多かった。突如草むらから顔を覗かせ、山道に躍り出たかと思うと、僕を目がけて追いかけてくる。狂犬病になるのは勘弁なので、僕はひたすら逃げ回るばかりだった。ペダルにかけた両足を上げて、間一髪のところで追撃をかわしたこともあった。国境から50kmのところにあるティミショアラに到着するまでは、ただただ野良犬に対する恐怖心でいっぱいだった。ティミショアラで数日過ごした後は、電車を使って首都ブカレストまで向かうことにした。山道で野良犬に絡まれるのはごめんだからだ。ブカレスト駅に着いたのは深夜だった。薄暗い駅舎を出ると、暗い街灯の下には人や野良犬が何をするでもなくたむろしていた。不気味でじめっとした空気を醸し出す街を見て僕は警戒心を高め、きな臭い夜道を振り返ることなく自転車で駆け抜けた。駅から離れた住宅街まで野良犬が我が物顔で歩いていて、ホステルから外出する時にはいつも気が抜けなかった。
ブカレストに滞在中のある日、日本にいる父から一通のメールが入った。ボスニア・ヘルツェゴビナの日本大使館から、ボスニア警察が窃盗犯を捕まえたと連絡が入ったらしい。にわかには信じがたいけれど、そんなウソをついても仕方が無いから、きっと本当のことなんだろう。すぐに電車、バス、乗り合いタクシーを乗り継ぎ、2日かけて盗難事件のあった町トゥズラまで戻った。盗難時に助けてくれたおじさんにもこの朗報を知らせに行くと、事情聴取を受けた警察署にまで同行してくれた。やっぱり信頼できる人と一緒にいると心強い。昭和の刑事ドラマのような薄汚れた建物の奥から警察官が箱を抱えてやってきた。そしてパソコン、カメラ、iPhoneと、目の前の机に順番に並べていく。すでにパソコンとカメラのデータは消されていて、iPhoneに到ってはボロボロに破壊されていた。なかなかの壊れっぷりに、犯人と活劇を繰り広げる警察の勇姿が頭に浮かんできた。「すごいぞボスニア警察」。奇跡を起こしてくれた彼らには感謝の気持ちでいっぱいだった。盗難品を受け取った帰り道は、嬉しくて自然と笑みがこぼれていたと思う。おじさんも一緒になって喜んでくれて、自宅で得意料理のサワークリームのオムレツをご馳走してくれた。誰かと一緒にご飯を食べるのは久しぶりのことで、僕はおじさんとの楽しい会話に気持ちがほっこりした。おかげで再びブカレストに戻る頃には落ち込んでいた気持ちも少し晴れて、僕は次の国ウクライナを目指し秋めく風を切って自転車を走らせた。
ライター:林周作/郷土菓子研究社
http://www.kyodogashi-kenkyusha.com/
エディター:南口太我