弾痕の残る町|世界の郷土菓子をめぐる自転車旅 005

緩やかな山を越え、クロアチアからボスニアヘルツェゴビナに入った。島国で育った僕にとって国境は高いハードルのように感じてしまうのだけれど、海外に行くと自転車で気軽に国を行き来できるような場所もある。今回の越境もあっさりした […]

09/25/2015

緩やかな山を越え、クロアチアからボスニアヘルツェゴビナに入った。島国で育った僕にとって国境は高いハードルのように感じてしまうのだけれど、海外に行くと自転車で気軽に国を行き来できるような場所もある。今回の越境もあっさりしたもので、田舎町にポツンと建てられた国境ゲートを車のレーンに沿って進めば、あとは待ち時間もなくパスポートにポンとハンコが押されて入国完了。ビザも必要なかった。入国すると僕はまずヘルツェゴビナ地方(ボスニア・ヘルツェゴビナの南部)の中心都市モスタルを目指した。最近まで内戦が続いていたこの町では、弾痕の刻まれた廃墟が嫌でも目に飛び込んでくる。1発や2発ではなく百や千の単位で銃弾が撃ち込まれ、柱や外壁がもはや原形を残していない、どうしようもない建物がそこらかしこに放置されている。楽しいはずのショッピングセンターや公園に入れば”銃禁止”の標識が立てられているし、町の掲示板には戦争で亡くなった人たちの写真が生々しく張り出され、彼らを追悼するお墓が街の中に並んでいる。でも、なぜだろう。そんな日本とかけ離れた環境にいるのに、不思議なことに、そこまで大きな恐怖感が沸いてこなかった。クロアチア人から「ボスニアには気を付けろ」と聞かされていて心の準備ができていたし、旅に慣れ始めてきて「なんとかなるだろう」と楽観的になっていたのかもしれない。
街の中心を離れて住宅街で宿探しをしていると、ほどなく出会った人から泊めてあげるよと言ってもらえた。「自宅とは別に部屋があるんだ」とご主人が案内してくれるので着いていったのだけれども、ずいぶんと移動した上に、しまいには山を登り始めたものだから、本当に大丈夫なのかなと不安になってきた。ようやく「着いたよ」とご主人の指差した方向に顔を向けると、ぽつんと建っている古い小屋がひとつ。山小屋と言ってもロッジなんかのお洒落なものではなくて、長年使われていない物置みたいなちっぽけな建物だった。しかも入口には扉すらなくて、あっさりと蹴破れそうな木の柵が立てかけてあるだけだった。柵の隙間から中を覗くと、型落ちした分厚いテレビや薄汚れたソファーがある部屋からはカビ臭い匂いがした。「じゃあ」とご主人が帰ってしまうと、誰もいない真っ暗闇の中に僕はひとり取り残されてしまった。山奥から聞こえてくる動物の低い声が不気味過ぎて、外にあったむき出しの蛇口でササッと水浴びをして、その日はさっさと寝袋に包まって眠ることにした。
翌日、山から下りて住宅街を走っていると、庭で炭火焼をしている男性に呼び止められた。僕はすかさずスケッチブックを取り出した。そして身振り手振りを交えて宿泊交渉をしていると、「何事?」と窓から顔を出した奥さんが英語の先生だと分かり、おかげで英語で旅の事情を説明することができた。おふたりは新婚さんだったから、奥さんが前に住んでいたアパートが空いているんだと僕を歓迎してくれた。「昨日みたいな山小屋だったらどうしよう……」なんて考えが頭を過ったけれど、実際は近所にある清潔な部屋だったので安心した。ふたりは滞在中に僕を川や夜の街へ連れて行ってくれたり、濃厚で甘い自家製のクルミワインをごちそうしてくれたり、5日の滞在期間中とても良くしてくれた。僕はお礼に和菓子を作ってお宅に持って行ったり、サプライズでボスニア郷土菓子のバクラヴァを作って振る舞ったりした。バクラヴァの出来が良かったのかは分からないけれども、とても喜んで平らげてくれた。ふたりの家には近所の子供たちがよく遊びに来ていて、昔の日本の風景を見ているみたいだった。僕も小さい頃によく隣の家の人に遊んでもらったから、当時を思い出して「懐かしいな」と感じた。出発の日がやってくると、「お土産に持っていって」と、すっかり僕のお気に入りになっていた自家製クルミワインをこっそり準備してくれていた。このワインは旅先で出会った人たちと少しずつシェアしながら頂いた。ちょうどこのクルミワインのボトルが空になる頃、僕の滞在時に妊娠していた奥さんが出産したのをfacebookで見届けることができた。
次に辿り着いたのはとても小さな町だった。町にたったひとつしかない市場を散策していたら、ワラワラと人が集まりだしてきた。「どこから来たんだ」、「なんでこの町に来たんだ」、「これを食べろ」、「あそこへ行くといい」。物珍しそうに僕を取り巻きながら質問を畳み掛けてくる。ひとりだけ英語を話せる少年がいたので、このぽっちゃり少年に通訳してもらいながら集まった人たちと会話した。 しばらくみんなと会話をしていると、その町の名前を冠した小さなテレビ局ゼニツァTVの人までやって来た。突然のインタビューを快諾して拙い英語で旅の話をしたけれど、テレビカメラを前にして僕はすっかりアガってしまって、取材後は何を話したのか全然覚えていなかった。この撮影を担当していたカメラマンが、まだ宿泊先が決まっていなかった僕を自宅に招いてくれた。ほら、と彼がスイッチをつけたニュース番組を見ていると、突然自分のインタビュー映像が画面に流れ始めたものだから、僕はとても恥ずかしかった。それにしても人生初のテレビ出演がゼニツァTVになるとは思いもよらなかった。反響がまた凄かった。何も無くても珍しがられるのに、テレビ放送のお陰で翌朝は市場にいる人たちから絡まれる絡まれる。「これを持っていきな」「これ美味しいよ」「おいブレク(ボスニアの料理)を持って来い」と大騒ぎ。「ちょい待て」という僕の静止も全く届かぬ大歓迎ムードの市場を抜けて、まるで有名人になったかのような不思議な気分で町を後にした。ここから南に向かうとボスニアヘルツェゴビナの首都に出る。
山間の盆地にある首都サラエボに到着すると、地元のおじさん達が集う小汚い小さな喫茶店に立ち寄った。おじさん達は皆、ボザという穀物を発酵させた飲み物を飲んでいた。中央アジアからトルコや、バルカン半島(ボスニアやセルビア、ルーマニア辺り)の飲み物らしい。気になったので注文してみると、乳酸飲料のような爽やかな酸味があって美味い。どれくらい美味かったかといえば、人生ベストドリンクTOP3にノミネートする程だった。そのボザを注ぐ銀色のサーバーの横にあったテーブルに、大きな薄茶色い塊がドンと置かれていた。パッと見るとブロックかレンガみたいな姿形をしているのだけど、僕はすぐにそれがハルヴァというお菓子だと分かった。フランスの市場でトルコ人が作ったものを一度試したことがあったからだ。日本ではメジャーではないけど、ハルヴァは西はモロッコから東はインドまで色んな国で作られている。そして国ごとに独自のハルヴァを食べている。もちろんボザと一緒に注文してみた。このハルヴァはギンと甘かったけど、シャクシャクとした独特な綿あめを押し固めたような食感と白ごまのコクが美味しかった。
サラエボを発つと、次の国セルビアを目指すことにした。セルビアの首都ベオグラードは国境を越えてすぐのところにある。山道だけど頑張ろうと自転車を漕いで進むと、途中で分かれ道にぶつかった。左へ行けばボスニア国内のトゥズラ、右へ行けば隣国セルビアのベオグラードへ向かう分かれ道。本当だったら右の道を進むはずだけど、ここで僕は左を選択した。ボスニアヘルツェゴビナはトルコの影響を強く受けている国で、見たことのない中東由来の郷土菓子にたくさん出会えてきた。ひょっとしたらトゥズラでも面白いものが見つかるかもしれないと期待してしまったのだ。実はこの決断が失敗だったことに気付いたのは翌日のことだった。
その青年とは繁華街で知り合った。カフェバーの前で店員と立ち話していたら、薄暗い店の中から手招きして呼び止められたのが出会いだった。お互い年齢が近くて英語も話せるとあって僕たちはすぐに意気投合し、彼の「うちに泊まりにこないか」という誘いにも二つ返事で乗っかった。ひとしきり飲んだ後は店を出て、若者が集まる川辺に移動した。移動途中に仕入れたペットボトル入りの安ビールを飲み明かし、夜更け頃に彼の部屋に戻るとそのまま横になって目を閉じた。いつの間にか熟睡してしまった僕は、昼前になって目を覚ました。そして直ぐに気付いた。「無い」。カメラ、iPhone、ノートパソコンが無くなっていたのだ。僕は頭が真っ白になり、宿泊先の青年に物がないことを伝えた。そして伝えながら直感で悟った。彼が盗んだのだ。昨晩と言っていることが一変しているし、挙動もおかしい。案の定、警察にも付いて来てくれなかった。すっかり困ってしまった僕は、前日にたまたま知り合った自転車好きのおじさんに連絡を取り、おじさんの家で事情を話した。おじさんは英語が話せなかったのだけれども、僕の話に耳を傾けて聞いてくれた。旅人の三大家電をすべて失い緊迫している様子が伝わったのだろう、真夏にも関わらずホットミルクを作ると僕に差し出してくれた。それを飲むと、行き場のない苛立ちから解放されて、すっと目から涙が流れてきた。少し気持ちが落ち着いてきたので、おじさんに警察署まで連れて行ってもらった。警察署は小汚かった。タバコのシミのついたような壁にグレーの机と椅子、年季の入った分厚いパソコン。犯人が見つかるような可能性を感じさせない光景だった。ところがトゥズラの警察は思いの外しっかりと動いてくれ、サラエボから通訳者まで呼んで対応してくれた。事情聴取は何度かに分けて行われ、警察に通う3日間はおじさんにお世話になった。さすがに海外で盗まれたものが返ってこないだろうと思い、手続きが終わると僕はすぐに出発することにした。沢山の良い人と出会ったボスニアヘルツェゴビナだったが、最後に残念な思い出を作ってしまい、ナーバスな気持ちで次の国ベオグラードに向かうことになってしまった。そう言えば、おじさんが毎朝作ってくれたサワークリーム入りの半熟の卵焼きが絶妙に美味くて、その後何度も挑戦したのだけども、あの味にはならなかった。
ライター:林周作/郷土菓子研究社
http://www.kyodogashi-kenkyusha.com/
エディター:南口太我