ミュンヘンビールで乾杯|世界の郷土菓子をめぐる自転車旅 003

そのおじさんとは3年前のヨーロッパ旅行で出会った。ミュンヘンのマリエン広場で地図を広げていると、「何してるの?」と声をかけられたのがきっかけだった。大きくて、ずっしりとゆっくりと動く人だった。おじさんは見ず知らずの僕をバ […]

06/29/2015

そのおじさんとは3年前のヨーロッパ旅行で出会った。ミュンヘンのマリエン広場で地図を広げていると、「何してるの?」と声をかけられたのがきっかけだった。大きくて、ずっしりとゆっくりと動く人だった。おじさんは見ず知らずの僕をバイクの後ろに乗せてガイドをしてくれた。有名な公園に連れて行ってくれたり、お菓子屋巡りに連れて行ってくれたりして。もの静かな人なのだけど、ビアホールをはしごして、次から次へとビールのグラスを空けていく姿は豪快そのものだった。聞くとおじさんは子供の頃からビールを飲んで育ったような生粋のミュンヘンっ子だそうだ。僕たちはずっとお互いをUncleとSonとで呼び合っていた。だから、”おじさん”というわけ。ヨーロッパ旅行から戻ってからも僕たちは連絡を取り合っていて、おじさんから送られてくるメールにはよく写真が添付されていた。写真を撮るのが好きなのかな。そういえばミュンヘンを案内してくれた時も、ビアホールだとか公園だとか撮影スポットがある度に、僕のカメラを手に取って「ほら、撮ってあげるよ」とシャッターを切ってくれたっけ。自転車の旅を始めてからもメールは続いた。フランスを出発してからミュンヘンに辿り着くまでの2週間と少しの間、毎晩のように。
小さい町にも郷土菓子があるもので、目新しいものを見つけては足を止める旅だったけれど、何時だっておじさんは僕を待っていてくれた。例えば、僕がボーデン湖に面した緑の多い田舎町に立ち寄っている間も。フリードリヒスハーフェンという名のその町で、いつものように菓子屋を巡っていると、ふいに「日本人ですか?」と声をかけられた。急に耳に入った日本語に思わず振り向くと、金髪で青い目をした小柄な女性が立っていた。「私の名前はコニーといいます。私はこの店に初めてきました」と続ける彼女と世間話をしていると、コニーが隣町のリンダウで菓子職人をしていることが分かった。初めての店に、日本語に、菓子職人。偶然が重なると、なんだか僕はこの町に引き寄せられてきたんじゃないかと思えてくる。「厨房を見せてもらえないですか?」とお願いしてみると、意外とあっさりと、クワルクチーズを使った焼き菓子のクワルクシュトゥルーデルや、バームクーヘンを作る様子を見せてもらえることになった。これはラッキー。翌日僕はコニーが勤める菓子屋を訪問した。ヨーロッパの可愛らしい町並みを右へ左へと進んだ先にある”様になる”店だった。ここぞとばかりにカメラを構えていると、店の向かいにあった新聞社から記者がやってきた。小さな田舎町のことだから、自転車に乗ってやってきた日本人が珍しかったんだろう。取材中の様子を突撃取材されることになって、あくる日のローカル誌の朝刊に大きく掲載された。思いがけない出会いが旅を面白くしてくれた。
リンダウを後にしてからは、ボーデン湖から流れ出る川に沿って伸びる道を進んだ。目に飛び込んでくる対岸の町並みが綺麗だった。すれ違う標識に書かれたミュンヘンまでの距離数が減っていく。まるでカウントダウンしているみたいに。残り120kmを切ったあたりで渡った小さな橋の脇に、『ここからバイエルン州』と知らせる看板が立っていた。いよいよミュンヘンが近づいてきた。「おじさんに会ったら旅のことを話してあげよう」なんて想像してみると、ペダルを踏む足どりも軽やかになる。3年前と同じマリエン広場の噴水前におじさんの姿が見えた。「久しぶり、お腹減ってない? とりあえずビール飲みに行こう」。おじさんは早速僕を行きつけのビアホールへと案内してくれた。初夏の日差しの下を汗だくになって自転車を漕いできたから、一気に飲み干したビールといったらそれはもう美味かった。おじさんは大きなグラスを片手に僕の旅物語を楽しそうに聞いてくれていた。夜が更けるまで。その日から1週間ほどおじさんの家でお世話になった。おじさんは郊外にある自宅の他に、街の真ん中にワンルームの部屋を持っていて、「自由に使っていいよ」と僕に貸してくれた。そこはおじさんの思い出を詰め込んだような部屋で、趣味のバイク用品がきれいに並べられていた。写真のアルバムもたくさん置かれていた。やっぱりおじさんは思い出を写真に残しておきたい人なんだろうな、と思った。
僕は部屋の片隅に大量の荷物を置かせてもらい、すっかり軽くなった自転車でミュンヘンの街をスイスイと漕いで、老舗の菓子屋やモダンでお洒落なカフェを訪ねて回った。おじさんは時間がある度に僕のところまでやってきてくれて、地元の菓子屋を紹介してくれたり、おじさんの友人を紹介してくれたりした。仕事をリタイアした後だったから、することがなくて寂しかったのかもしれない。大好きなバイクに”息子”を乗せて巡る時間を楽しんでくれていたとしたら嬉しいな。こうしておじさんと過ごす1週間はびっくりするくらい短かった。本当はもっとここに居たかったけれども、ヨーロッパVISAの期限が翌日にまで迫っていたから、電車に自転車を積んでクロアチアの首都ザグレブまで移動することにした。クロアチアは全く初めての土地で、どんな国かも知らなければ、どんな人がいるのかも分からない。ミュンヘンからは電車1本で行ける場所だったけれど、手に入れた切符に印字された夜遅めの到着時間を見て少し心細くなった。明日からはまたひとり旅が始まる。おじさんとの最後の晩、僕は長年使われていなかったキッチンを掃除して、ドイツのクワルクチーズを使ったチーズケーキを焼いた。そして再会を誓って握手をした後、2人で思い出の1枚を撮影した。「さようなら、また会える日まで」。
ライター:林周作/郷土菓子研究社
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エディター:南口太我