屋根の下の温もり|世界の郷土菓子をめぐる自転車旅 002

悪魔の囁きが聞こえる。「ヨーロッパの鉄道には自転車用の車両があるじゃないか。それを使えば隣町まであっという間じゃないか」。想像を超えた自転車の重量に僕は心が折れそうになって、スタート地点からたった500mの鉄道駅で早くも […]

05/24/2015

悪魔の囁きが聞こえる。「ヨーロッパの鉄道には自転車用の車両があるじゃないか。それを使えば隣町まであっという間じゃないか」。想像を超えた自転車の重量に僕は心が折れそうになって、スタート地点からたった500mの鉄道駅で早くもへたり込んでしまっていたのだ。けれども声高らかに出発したほんの30分前のことを思えば、さすがにいきなり電車に乗るわけにもいかない。僕は重い腰を上げ再び自転車にまたがった。「ああ、やっぱり重い。明日は筋肉痛だな」。この日は30km先にあるスイスのバーゼルを目指すと決めていた。普通なら自転車で2時間ほどの距離だろうけど、リュックひとつでサイクリングするのとはわけが違う。荷物にハンドルを奪われながら、恐る恐るペダルを漕いで、半日掛りでスイスに辿り着いた。国境には形ばかりの簡易ゲートが立っているものの、係員もいなければ、パスポートコントロールもなかった。ずいぶんとあっけない。
手持ちのお金は1700ユーロ、日本円にすると22万円くらいしかない。上海までの10,000kmを完走するのにざっと1年半と見積もると、1日に使えるお金はせいぜい3ユーロ(400円)程度だろう。限られた所持金はなるべく郷土菓子の研究費に使いたい。「しかたない、宿代を削るしかないな」と判断して、地元の人の家を直接訪ねて「泊めて下さい」とお願いして回ることにした。言葉が通じないから筆談で挑戦してみる。英語、ドイツ語、クロアチア語にルーマニア語。合計12の言葉を書き連ねたスケッチブックを手にして、僕は一軒家が建ち並ぶ通りへと足を伸ばした。『ピンポーン。インターホンが鳴って外に出ると、見知らぬ外国人がスケッチブックを手にして、宿を探しているのだと自己紹介を始める。』こんな場面に出くわしたら……僕なら断ってしまうかもしれないな。怪しすぎるもの。だから、もちろん簡単に宿が見つかるとは思っていなかった。それでもあまりに断わられ続けると、流石に不安にもなってくる。徐々に日が傾き始めたバーゼルの街は、半袖1枚で過ごすには肌寒くなってきた。弱気になりつつピンポンを押し続けること15軒目、ようやく親切なご家族が受け入れて下さった。
迎えて下さったのは音楽家のお父さんと学生姉妹。お出かけ中のお母さんを待っているところだという。3人は驚かしてやろうとニヤニヤしていたけれど、僕はお母さんに追い出されないかなとちょっとだけヒヤヒヤしていた。こんな時間から宿探しをやり直すなんて真っ平だから。けれども僕の心配をよそに、しばらくして帰ってきたお母さんは温かく迎え入れてくれて、余っていた部屋をひとつ使わせてくれた。木製のベッドだけがポツンと置かれただけの部屋だったけれど、屋根の下で寝られるのはありがたかった。せめてものお礼になればと、お宅のキッチンを借りて、きな粉とケシの実の団子を振る舞った。粉と水とを合わせて、蒸して、練って、茹でる。「この粉はスパイス?」「これは何からできてるの? コーン?」。ぎこちない手つきをしながら、4人は見慣れない食べ物を面白がって平らげてくれた。地元の人と交流するのって思った以上に刺激的。こうして、昼間は和菓子の食材をバッグに詰めて自転車をこぎ、夜は地元の人と語らい土地の文化に触れる日々が始まった。毎晩毎晩がとても貴重な体験となった。次の目的地はミュンヘン、あの人に会いに。
ライター:林周作/郷土菓子研究社
http://www.kyodogashi-kenkyusha.com/
エディター:南口太我