輪島塗 2|器の芯を挽く 池下満雄

74歳の池下満雄の工房には、おおまかな形に切られた木の椀が10列ほど高く積みあがっている。壁の窓から差しこむ光がたまった木屑を照らす。その中心に池下が座り、木地と呼ばれる木の椀を挽いている。1日10時間、来る日も来る日も […]

01/23/2013

74歳の池下満雄の工房には、おおまかな形に切られた木の椀が10列ほど高く積みあがっている。壁の窓から差しこむ光がたまった木屑を照らす。その中心に池下が座り、木地と呼ばれる木の椀を挽いている。1日10時間、来る日も来る日もここに座り、次の工程の職人たちが何度も重ね塗りするための椀をつくっているのだ。
「椀木地は器の芯みたいなものです」。工房に座り、木の椀を挽きながら池下は言う。この「芯」に今度は、別の職人たち―塗師と呼ばれる輪島塗りの職人たち―が幾重にも漆を塗り重ねて漆器ができあがる。木地師と塗師は最終的な作品のイメージを共有し、手に持ったときの感触を話しあう。「いまの若い職人たちは正確な寸法を言いますが、昔は持ったときの感触についてよく話していました。その話の内容に沿って作業したものです。たとえば女好きの職人なんかは、お椀を女の人の乳房になぞらえて、大きさとか、女性の年齢とか、全体的な形のイメージなどを伝えたものですよ」。池下にとって、こうした話しあいは仕事のもっとも大切な部分であり、塗師がどのような椀に漆を塗りたいと考えているかを本当に理解するために欠かせない工程だという。 
彼が木地づくりの仕事を始めたのは15歳。木地職人の伯父の家に養子に来たときからだ。「ひとりで木を扱えるようになるまでには、それから何年もかかりました」と池下は語る。おおまかな形に切られた椀をろくろでまわし、イメージした木地に仕上げていく。池下がこの技を体得し、ぴったり同じ形の器をいくつもつくりだせるようになるまでに、何年もかかったという。「でも最近では、新しいデザインに合わせて納得できる木地に仕上げるのは難しいと感じるようになってきました」。
そして池下は自分の技能を伝承できる若手職人がわずかしかいないこと、外から輪島塗りの世界に入ってくる人間がいないことを嘆く。最盛期には、池下に仕事を頼む職人が60人もいたという。ところがいまでは、椀木地づくりを依頼してくる職人は片手に余るほどしかいない。注文が減ったのは社会が変わったから。他産地で製造されたプラスチック製の椀が漆器の需要を満たすようになったからである。輪島漆器と、輪島漆器に似せたプラスチック製の食器の違いは、見ただけではわかりにくい。だが、両者の間には決定的な違いがある。プラスチック製の椀には芯がない。椀の芯は完璧な丸みを帯び、いっさいの歪みなく左右対称な漆器をつくるために必要な多くの職人たちの長年にわたる協力の証。千年以上にわたって伝承され、洗練されていった骨なのだ。
赤木明登(あかぎ あきと)
塗師。1962年岡山県生まれ。
編集者を経て、1988年に輪島へ移住
This story originally appeared in Papersky’s SWISS | water issue (no. 40).