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芭蕉も泊まった旅籠で、江戸情緒に浸る(御油〜岡崎)

現在の愛知県豊川市にあたる御油の宿場は、姫街道が再び東海道に合流する地点。御油と次の赤坂は、江戸時代には大勢の飯盛女(めしもりおんな)がいた歓楽的な宿場町だったという。飯盛女とは泊まり客の相手をする女性で、多くは夜もとも […]

02/12/2013

現在の愛知県豊川市にあたる御油の宿場は、姫街道が再び東海道に合流する地点。御油と次の赤坂は、江戸時代には大勢の飯盛女(めしもりおんな)がいた歓楽的な宿場町だったという。飯盛女とは泊まり客の相手をする女性で、多くは夜もともにしたと伝わる。赤坂にはいまも往時の旅籠の姿をとどめる宿、大橋屋がある。1649年の創業で江戸時代は「伊右エ門 鯉屋」の名で営まれていたこの宿の、連子格子をはめた2階の両端からは飯盛女の肖像画が通りを見下ろす。「当時、旅籠に置いていい飯盛女はふたりまでという決まりがあったんです。あの絵は張見世(遊女が店先で姿を見せて客を待つ)のような意味合いのものですね」と19代目の青木一洋さん。江戸時代のままの姿を残し、現在も旅籠として営んでいるのは全国でこの大橋屋だけだという。芭蕉が泊まり、広重も『東海道五十三次』の赤坂で描いたというこの旅籠で、貴重な一夜を過ごす。
「ここのご主人は建物の雰囲気を守るためにわざと表からは見えないように、だけどすごくきちんと建物の手入れをしているよね。でも本当はもっと皆で協力して守らないといけない場所じゃない? ここがなくなったら江戸から続く旅籠はなくなっちゃうんだから。金閣寺みたいなところは価値もわかりやすいけど、こういう見つけにくいところの価値をちゃんと見る目が必要だよね。自分の国だったらとくにそうじゃない? 次のステップに進むためのそういう発見をするのが、今回の旅の意義だね」。寝床で語るルーカスの演説がいびきに変わり、江戸の風情を満喫した夜は更けてゆく。
「夏の月御油より出でて赤坂や」。これは約2km と短い御油〜赤坂間を、短い夏の夜にかけた芭蕉の句。そのとおりに次の朝はすぐに来て、一行は2階で微笑む飯盛女に別れを告げた。
 
This story originally appeared in PAPERSKY’s Edo Tokaido Road Issue (no.36)