荻上直子は日本映画界の名匠の一人だ。まだ50代前半という若さながら、10の長編映画と数多くのテレビ作品を世に送り出し、20年以上のキャリアをもつ。彼女の作品は、ベルリン国際映画祭におけるテディ賞をはじめとして、いくつもの権威のある賞を授賞。国内の女性映画監督の草分け的な存在として、荻上は独自のスタイルとストーリーテリングを確立している。
彼女の映画は、エキセントリックさ、冷笑的な視点、ときに奇抜さが強烈な印象を残すが、それと同時にどこか心温まる雰囲気が漂う。その作風を通じ、家族や人間関係への深い洞察を投げかけている。彼女の映画製作へのアプローチは、料理人が秘密のレシピを使って意外性のある風味や香り、食感を混ぜ合わせる方法に似ている。彼女は尽きることなく湧き出るアイデアに、細部にわたるまで鋭い感性を注ぎ、マッドサイエンティスト的な精密さで作品に技巧を凝らす。
彼女の映画には、アウトキャスト、つまり社会から疎外されたり、周囲から理解されない人物がよく登場する。そのいくつかは、彼女自身が学生時代にクラスで唯一のアジア系女性として過ごした体験から生まれたもので、それが独自の視点やストーリーテリングの多くの部分をかたち作った、と彼女は言う。

「わたしは英語ができないまま、アメリカの南カリフォルニア大学の大学院に進学したのですが、そこの学生全員が映画監督を目指しているという、競争社会の縮図のような環境でした。その中で私は英語が話せない唯一のアジア系学生で、女性もほとんどいませんでした。今から30年も前のことですが。私の経歴と言葉の壁から、よくグループワークなどで一緒に組んでもらえずに、仲間外れにされたように、自分は『お荷物』と思われていると感じ、とても悔しかったです。
ある日、脚本の授業で自分が書いたストーリーを学生たちの前で読み上げると、すごくうけました。毎回、笑いがとれたのです。それ以外では仲間外れにされたと思いましたが、脚本で笑いをとれたことで、自分のユーモアはアメリカ人にも通じることがわかりました。そのことが私に大きな自信を与えました。
それまでの私は、脚本を書いた経験はまったくありませんでした。日本では数学や科学を学んでいたからです。当時は書くことに興味もなく、自信もまったくありませんでした。でも、私のユーモアがクラスメイトに通じたときに、脚本ってパズルのようだと、数学的だなと思いました。このアプローチが自分に合っていることに気づいて、映画監督を目指そうと思ったのです」
アメリカでアジア人として暮らしていた時、荻上は疎外されるとどんな気持ちになるか、身をもって経験した。彼女は意図的にアウトサイダーの話を書いているわけではないが、登場人物の多くは犯罪者や社会不適合者となる結末が多いのは、おそらく彼女自身のアウトサイダーとしての経験を反映してのことだろう。
この孤立の感覚は彼女が一人旅を好むことに、共鳴している。よく旅行する、という彼女は、学生時代から一人旅をしていたという。もちろん家族で旅行することもあるが、ひとりのドライブで車中泊しながらおいしいものを食べることを、彼女は特に楽しむという。若い頃はひとり旅がしやすかったが、家族といる現在ではなかなか難しいという。それでも映画祭の後や、海外での上映会の終了後などに、ひとりで散策し自分だけで過ごすことに心の平安を見いだすという。

この自立心は彼女の執筆プロセスにもあらわれている。彼女は周りの世界から得たインスピレーションや、新聞などから得たアイデアを、将来のプロジェクトのために蓄えているという。これまでに彼女が書いた脚本のうち、およそ3分の1は映像作品になるまでは至っていないというが、すべて自身の手によるものなので、時には古い脚本にある要素を、新しい映画に再利用することもあるという。
映画製作とは、技術だけでなくむしろ感情が重要だと、彼女はいう。経験を積んでくると、「こうすればうまくいく」ということがわかるけれど、そのような形式的なアプローチはおもしろくないと感じているという。彼女が公然と認めていることは、日本語ではタブーかもしれないが、「ちゃんとキチ◯イでいよう」ということだという。「おもしろくなくなるので、ちゃんとおかしな人でいたい」と願うことが、彼女の創造意欲を駆り立てている。彼女は他の映画監督のなかでも、特にその「キチ◯イ度」が際立っていると、インスピレーションを受けたのがデイヴィッド・リンチで、彼の作品の奇抜さに感銘を受けたという。その大胆な創造性こそが、大切にされるべきだと彼女は考えている。
荻上は映画を深く愛し、また映画製作について誇りをもっている。そして映画を作り続けることに情熱を注いでいる。しかし、時代は明らかに変化している。彼女自身も映画館に足を運ぶ回数は減りつつあるというが、それは映画ファンにも広がる傾向だ。配信サービスが増す中で確かなことは、そこには新しいチャンスがあり、より稼げる可能性もあることだ。しかし彼女は、配信サイドの映像業界に完全に身をおくことを考えていない。時々、配信プラットフォームから脚本の執筆依頼を受けることがあるが、彼女はそのプロジェクトに全面的に注力したいとは感じていなかった。あらためて映画館へ行く回数が減ったことに気づいた彼女は、配信という映像プラットフォームについて、これまでより真剣に考えようと思っているという。
彼女は年を取ることを考えるとき、特に宗教と関連づけることはない。他の多くの日本人と同様に、神社と寺の区別などに、あまり詳しくない。宗教は彼女の生活に中心的な役割はもたないものの、仏教の教えには関心があり、余暇の時間に探求しているという。

「数年前の私の映画『波紋』の中で、専業主婦の主人公が枯山水を作ります。それを通じて、私は日本人であることの意識と、日本文化の良い面に光を当てること、私が思う日本の美しさを伝えたかったのです。枯山水について学ぶと、仏教と深く関わっていることがわかり、どちらも興味深く感じました。
ちいさなことかもしれませんが、2012年から2013年にかけて私は文化庁の芸術家海外派遣制度によりニュージャージー州に住んでいた時のことを思い出します。私はヨガのクラスを取っていました。暑くなると他の人たちは、服を脱いで、適当に放り投げていましたが、私は服をきちんと畳んで、そっと置いていました。そこで、日本人はそうするだろう、と気づいたのです。そういう細かいことが、慎ましいと感じました。アメリカの人たちに限ったことではありません。フィンランドのサウナで観察したときに、脱いだ服をなんとなく畳んでおく人と、ぐしゃぐしゃのまま置く人といて、人にもよるのだなと感じました。私は、声を大きくして日本がよいだとか愛国心を語るつもりはないけれど、ちょっとしたことの素敵さや、そばが美味いというような、素朴だけれど良いなと思うこと、そういう、さりげない美しさを自分の作品でも表現していきたいと思います」
高木康行 Yasuyuki Takagi
東京生まれの写真家・映像ディレクター。ニューヨーク州ブルックリンでメディアアートを学ぶ。著書に写真集『小さな深い森 Petite Foret Profonde」と『植木 UEKI』はフランスから刊行、そして最新作『BLR: Brooklyn Lot Recordings』を東京の Neat Papers より出版。監督作品に『どうすればトム・サックスにみたいになれるか』『場所の肖像 :荒木町』他多数制作。現在は、国内外で精力的に制作活動を続けている。