知恵と努力で地域の宝を磨き続ける
そのみごとなしつらえから、まるでお城のようといわれていた「日本料理 鶴来家」の約200年の歴史は、全焼した。山から吹き下ろす強風で燃え広がった糸魚川の大火。しかし、その直後にも5代目店主青木孝夫さんは、糸魚川と妙高高原を結ぶリゾート列車・雪月花の乗客に出す割烹弁当を休むことなく、仮設の調理場をつくって提供したのだそう。奇しくも大火直前に娘の資甫子さんがUターンしていたことは、父娘にとってよい風をもたらしたのではないだろうか。2年後には元の場所で再出発を果たし「小さくとも、できるだけのつるぎやで。なんとしても旗は下ろさないぞ、そんな気持ちでしたね」と、孝夫さんは悔しい気持ち以上に前向きだ。資甫子さんは「新しい建物には、これからの時代に合ったものをという思いを込めました。父の姿勢から多くを学びながら、若い人にもっと日本料理へ親しみを感じてもらえるようなことに挑戦したい」と話す。糸魚川産の旬の食材にこだわった一品一品、見た目も食感も味にも心が行き届く。新生鶴来家には、確かに新しい風が吹いていた。


年に一度、開催される「つむぎ日和」は、全国から人が集まるクラフトマーケットだ。「手づくりが好きな姉妹で始めた妄想が、友人や協力者のおかげでかたちになっていきました」と、主催する三姉妹の長女である天野千恵さんは振り返る。つくって売るをきっかけに、地域の大切な人と、できごとを伝える催しへ。そしてまた主婦だった千恵さんは、今や地元アパレルの社員として百貨店などで催事を担当し、伝統料理・笹寿司を残す活動にも携わっている。人を紡ぎ、地域とともに自らも輝こうとする糸魚川の人たちこそが宝の原石なのだと、実感するのだった。
