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銭湯

立ちこめる湯気の向こうに、裸の人々が見える。ある人はシャワーで頭を洗い、ある人はうだるような熱い湯に浸かっている。ここは銭湯と呼ばれる公衆浴場。日本の文化遺産のひとつであり、人々が日常的に公衆浴場を使っていた、少し前の時代への入り口だ。

07/23/2020

Story 03 | 神聖な建築様式

銭湯は東京の街のあちこちに隠れるようにして建っている。その堂々たる姿は一見、寺院のようだ。なかで裸の人たちが入浴しているとことを示すのは、瓦屋根の上にそびえ立つメッキ仕上げの煙突から立ちのぼる煙と、玄関の奥にある下足箱だけ。注意して見れば、入り口の上に張りだした「破風」と呼ばれる三角形の枠に気がつくかもしれない。銭湯研究家の町田忍によれば、「破風は“極楽への入り口”を表している。破風が設けられている場所は、銭湯以外には3つしかない。寺院の入り口、霊柩車の屋根、遊郭の外装である」という。町田が東京の銭湯研究を始めたのは、なぜ東京の銭湯は寺のような形なのかと外国人の友達に聞かれ、答えに窮したのがきっかけだった。それから日本各地の銭湯をまわって写真に収めるようになり、銭湯の研究にのめりこんだ。その後、銭湯に関する本を何冊も出版し、いまや町田は銭湯研究の第一人者だ。今日、町田が案内してくれたのは、東京都大田区に53年前から続く明神湯。彼が東京でもっともすばらしい建築と評価する銭湯である。

明神湯の建築には、見た目の美しさと機能が共存している。寺院を模した玄関は装飾にしか見えないかもしれないが、じつは大正12年の関東大震災後に復興した銭湯文化に重要な役割を果している。この地震が起きる前は、東京の銭湯の建物や内装はもっと簡素で、大阪や京都に現在残っている銭湯とほとんど変らないものだった。ところが震災後、東京の銭湯はお客を呼びこむために、神社や寺院を模した建物に生まれ変わったのである。この狙いは当たり、1968年の最盛期には都内の銭湯の数は約2,500に達した。いまではこの数が850を切るまでに減っている。脱衣場に入ると、天井が高く、天井と壁を独特のS字形の木材で接いであるなど、やはり寺院を模したつくりになっている。銭湯のあらゆる部分に趣向が凝らされているが、浴室は非常に機能的にできている。泡風呂の水流は電動ではなく、複雑な幾何学に基づいた配管法により水が決まった角度で流れ、心地よい水圧が発生するという奇跡的な構造になっている。洗い場のシャワーも床に水が溜まってカビが生えないよう、ちょうどよい角度に傾いていなければならない。昔の銭湯は長いあいだ修理する必要がなく、湿気や湯気にずっとさらされていても大丈夫なつくりになっていた。

日本初の公衆浴場は鎌倉時代以前。光明皇后が貧しい人々に「施浴」するためにつくった神聖な湯屋であった。歴史をさらに遡れば、日本には古来から身を清めるための禊の習慣があるが、銭湯のような入浴のしかたは仏教の伝来とともに伝わったと言われている。日本では初めのうち、風呂は寺の一部であり、僧だけが身や心を清めるために使うことを許されていた。今日の風呂は聖なる場所から完全に日常的なものとなり、銭湯には身体を清める以上のものを求める人々が詰めかけるようになった。

< PAPERSKY no.31(2010)より >

text & photography | Cameron Allan McKean Coordination | Lucas B.B.