地域の人が守りつないだ巡礼の聖地
西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所と合わせて日本百番観音霊場に数えられている秩父三十四ヶ所霊場。開創は鎌倉時代の1234年にさかのぼる。秩父地域各所に点在する観音を祀った寺を巡り、巡礼の証しである札を納める巡礼の旅は室町時代後期にはすでに定着していたとされ、庶民にも参詣が広まった江戸時代に最盛期を迎えた。ご開帳の年には3ヶ月で4〜5万人もの巡礼者を迎えたとか。
第一番四萬部寺から第三十四番水潜寺をひと巡りするとおよそ100kmの行程となるが、今回はルートの一部を抜粋し、江戸時代から歩かれてきた「江戸巡礼古道」を中心に1泊2日で40km弱の道のりを行く。
今回のゲスト、日本在住のロシア人ユーチューバーの安涼奈(アリョーナ)さんと西武秩父駅で落ち合い、はじめに向かったのが第十三番慈眼寺。「眼のお寺」として知られるこちらには輪袈裟などの巡礼グッズが揃い街中にあって交通の便もいいことから、札所巡りの拠点のひとつになっている。住職の南泉和尚は秩父の街づくりや文化活動にも熱心で、地域のキーパーソンとして知られる。メグスリノキのお茶をいただきながら、秩父札所巡りの心構えを教えてもらう。
「お参りの作法といった堅苦しいことは考えず、まずは観光気分で気軽に足を運んでみてください。札所を実際に訪れ、ここで何かを感じていただく。その実感が大切だと私たちは考えています」
慈眼寺から市内を歩き、第十七番定林寺へ。アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の舞台になったお寺で、登場人物を描いた絵馬が人気だ。途中、だんごを焼く香ばしい香りに誘われて、「秩父中村屋」に立ち寄り。「秩父だんご」として有名なみそだれのみたらしだんごをいただいた。
手入れされた庭に四季折々の花が咲き乱れる第二十番岩之上堂から第二十一番観音寺を経て、古道の分岐点からいよいよ「江戸巡礼古道」を進む。分岐には1807年に建てられた馬頭尊があり、それが目印になっている。第二十二番童子堂の跡地を過ぎると雑木林のなかを抜けるトレイルが現れる。「江戸巡礼古道長尾根みち」だ。ここから谷を渡り、野面を横切り、第二十三番音楽寺、第二十四番法泉寺、第二十五番久昌寺観音堂まで江戸巡礼古道をたどる。
道沿いには馬頭尊や道標、石仏が現れて古道の趣もたっぷりだが、山に囲まれた立地ゆえに開発を免れ、江戸時代の風情がそのまま残ったとか。竹林を抜けると目の前にピラミッドを思わせる武甲山の山容が現れた。その存在感に圧倒されるが、山肌が階段状に大きく削られている様子が痛々しい。武甲山は良質な石灰岩が採れることから、現在も大規模な採掘が行われているのだ。
年間400近くもの祭りや神事がある秩父では昔から酒づくりが盛んで、かつては数十もの酒蔵があった。そのひとつが銘酒「秩父錦」をつくる矢尾本店。法泉寺に近い観光酒蔵「酒づくりの森」で酒蔵資料館を見学し、自慢の日本酒を試飲させてもらいルーカスも安涼奈もすっかりほろ酔いに。1日目はここで終了し、西武秩父駅方面に戻り市内の宿へ。翌日は第十二番野坂寺からスタートだ。
先達と歩けば札所巡りはもっと楽しい
2日目。野坂寺で秩父札所の指定案内人の青木隆人さんと待ち合わせ。秩父札所には20人ほどの指定案内人がいるが、巡礼の衣装に身を包む青木さんもそのひとりだ。野坂寺は許可を得れば昇殿参拝できる寺なので、天井絵の美しい本堂へ。青木さんの先導で、清々しい気分で般若心経をあげた。
第二十六番円融寺ではかつて本尊が安置されていた岩井堂へ。300段の石段を上った先にある岩壁に覆われた堂は、京都・清水寺の舞台を偲ばせる。そこから琴平旧道(琴平ハイキングコース)をたどって第二十七番大渕寺、第二十八番橋立堂へ向かう。かつて修験の霊場だったという高さ80mの大岩壁の下に立つ橋立堂は秩父札所で唯一、馬頭観音を祀る。武甲山の西麓に位置する岩壁は玄武岩と石灰岩からできていて、複雑なつくりの縦型の鍾乳洞も見ものだ。雨水が石灰岩を溶かした鍾乳洞から、秩父のシンボルである武甲山の成り立ちを感じられる。
葛飾北斎の『桜花の図』を飾る第二十九番長泉院、庭の手入れが行き届いた第三十番法雲寺と参詣し、南泉和尚の言葉を思い出す。
「秩父の札所は地域密着型です。西国や坂東と違い、武家や公家の庇護を受けてきた大きな寺がありません。地域の人々によって700年以上も守られてきたということはつまり、人々が守りつないだ信仰が小さな札所に息づいているということです」
南泉和尚によれば「地域密着型」という、どこかアットホームな雰囲気の札所巡り。今回の旅のゴールとしたのは、秩父三社のひとつ、三峯神社だ。江戸時代の旅人もきっと、札所巡りに際して極彩色の拝殿へと足を延ばしていたことだろう。そんな200年前の旅人たちの姿に思いを馳せながら、大輪の鳥居から本殿へ至る表参道を上り始めた。