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未来の知恵

石川直樹

 

09/15/2021

何もしない旅

コロナ禍によって旅ができない時期に「伊勢市クリエイターズ・ワーケーション」というプロジェクトに参加して、伊勢に長く滞在する機会を得た。これは、新型コロナウイルスの感染拡大によって甚大な影響を受けた伊勢市内の観光業に対応する事業として、市役所が企画したものだ。往復の交通費と滞在する宿の宿泊費を出してもらって、あとは特に義務も縛りもなく、個人の裁量で何をやってもいいし何もやらなくてもいい、というおおらかなプロジェクトである。こういうものに応募できるのだから、仮にも写真家として活動してきてよかったなあ、と心底思う。

「ワーケーション」という聞きなれない言葉は、ワークとバケーションを組み合わせた造語で、新しい旅の形として認識されはじめている(らしい)。ただ、そういう意味ならば、ぼくは20歳の頃からずっとワーケーション状態だったとも言える。いつも旅先で原稿を書き、写真を撮り、メールに返信する。他人から見たら登山や川下りは休暇でやることかもしれないが、ぼくはその合間に仕事をしつつ、フィールドでの活動自体も仕事と確実に結ばれていて、ワークとバケーションの境目がまったくない。

とは言ってみたものの、いつも移動の連続で、特別な目的もなく一つの場所に滞在する、という旅はほとんどしたことがなかった。まだ20代前半の頃、ハワイの語学学校に通いながら一カ月ほどオアフ島に滞在したことがあったけれど、それにしたって「英語を習う」という目的があった。初めての場所に何をするでもなく長逗留するのは、もしかしたらこの20年間で初めてのことかもしれない。

コロナ禍によっていつもの旅行はできなくなったけれども、自分にとっての新しい旅に身を置けるというのは、まさに不幸中の幸いである。ぼくは人生初のお伊勢参りを果たし、二見浦から太平洋を眺め、自転車を借りて伊勢シーパラダイスなどにも足をのばした。何より、こんな機会がなかったら来なかったであろう小さな路地という路地をひたすら歩いた。

歩くことは思索に繋がる。最近までずっと走り続けてきた感があるので、ここらで振り返る時間が必要だと思っていたが、それは自宅にいながらできることではなかった。初めての土地をあてもなく歩き、多少の刺激で身体を揺さぶりながらでなければ、自分にはできなかったのだ。

創造的な休暇を、ぼくは伊勢で体験した。頂に立つわけでもなく、決定的な瞬間に立ち会ったわけではないが、だからこそ逆に伊勢の滞在は生涯忘れないかもしれない。パンデミックの時代にこうした旅をした、という記憶はきっとぼくのなかにいつまでも残り、新しい道を切り拓く一助になる。今はそんな風に考えている。

石川直樹 Naoki Ishikawa
1977年東京都生まれ。2008年、『NEW DIMENSION』『POLAR』で日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞を受賞。2011年『CORONA』で、土門拳賞を受賞した。著書に開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』ほか多数。近刊に『アラスカで一番高い山』(福音館書店)。2020年、写真集『EVEREST』『まれびと』で日本写真協会作家賞を受賞した。
http://www.straightree.com

THE VOID
ニーハイメディアから出版された、石川直樹による最初の長編写真集。ニュージーランドのノースランドで、先住民マオリの聖地として受け継がれる森の原生林を収めた一冊です。