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Jomon Fieldwork
賢者の欠片

津田直
vol.1

いまから遡ること2,500年から13,000年、日本の歴史がはじまるずっと前に、日本各地で繁栄した縄文文化。このシリーズでは、フォトグラファー津田直が独自のフィールドワークを通して、縄文の歴史を紐解く新しいピースを拾い集めます。第1回は、秋田県・能代を探索したエピソードです。

07/19/2020

縄文フィールドワーク、事始め

大阪の古書店で「日本古代遺跡観察図鑑」を購入して以来、旅先から更に足を伸ばしては縄文遺跡を訪ねる頻度が日々増してきている。地図の見方・読み方は人それぞれだと思うが、僕の場合はこれまでもむりやり平面の地図に凹凸をつけ立体化させては、目の高さまで持ち上げ眺め、いじるくせがあった。それがこの頃では地中に眠っている時間ばかりが気になりはじめている。はじめは「どうして人は死んだら土に埋めるのだろう?」といった素朴な疑問を抱き、考古学の資料等も机に広げていたのだが、答えなど見つかる筈もない。しかし直感とは不意に浮かぶもので、土は水が辿り着く場所だからだろう。また、光さえも入る余地のない闇が潜むからだろう、と自説を立てては遺跡を歩き回っていた。こうして縄文フィールドワークは2年ほど前から密やかに始まったのだった。

かつて人が居を構えた地に立ち、風景を撮り留め、濡れた土の中を触ること。その悦びは何よりも僕を刺激した。なぜかって、それは千年の時を、万年の時を飛び越えた温もりを、踏み締める土の中に感じとることができるからだ。今年の冬もこんなことがあった。秋田の山道を歩いていた時、道案内を頼んだ友人が「津田さん、この辺りって縄文人が暮らしていたんだよ」「へ?」「そこの斜面、縄文人の落とし物があると思うから少し手で探ってみて」物の一分も経たないうちに「ほらっ」と友人は掌に小さな土器片をのせてにこやかに笑ってみせた。「これって…」「縄文後期のだね」「この辺り、今は畑だから雨上がりも良いけれど、雪解けの後に土がふっくらとすることがあってね。そうしたら土器が自然と上へ上へとあがってくるんだよ」僕は一面銀世界の畑に立ち尽くしながら、春になったら戻って来ようと心に決め、友人と再会の約束を交わした。

季節が巡り陽光が額を熱くする頃、僕は再び秋田県能代市に来ていた。はじめに土地の所有者に許可を得て、畑にお邪魔させてもらい土の上を歩いた。まるで耕したばかりに思えるほど、土は軟らかく歩く度に身体が沈み、土からはキャベツ・白菜・ネギ・ピーマン・サツマイモなどの野菜がすでに芽吹いていた。地面に頬が付くほど身を低く構えしゃがむと、冬に話を聞いた通り自ら立ち上がったような細やかな土器片が目に留まった。

一気に身体は温まり、僕はもう一度見渡せる限りの畑を眺めた。ちょうど畑にはおばあさんが見えたので声をかけた。聞くと「昔は畑仕事をしているとしばしば土器があったねー」と明るく返事が返ってきた。話しを更に聞いているとその昔畑から出てきたものが家にあるというので、見せて頂くことになった。訪ねると電話台の横には矢尻が数本並び、石斧まで飾ってあった。すっかり長居していたら今度は近所のおじいさんが現れた。にんまりとした笑顔の手元には両手に収まる程度の丸い土器が見えた。ほぼ傷はない優品の土器は、指先でなぞると作り手の掌の大きさまでもが想像つくくらいにラインは滑らかで、何度も形状を指の腹で追った。「ついに出たね」と言わんばかりに友人と顔を見合わせた。 

米代川流域の遺跡では雲形文の土器も見つかった。それは縄文晩期に栄えた亀ヶ岡文化を特徴づける造形美を有しており、この地において縄文人の確かな生活圏が築かれていたことを明らかに今日に伝えていた。

<PAPERSKY no.37(2012)より>

津田直 × ルーカス B.B. 対談動画
2019年9月21日〜11月24日に長野県八ヶ岳美術館にて開催された津田直展覧会「湖の目と山の皿」会場で上映された、津田直とルーカス B.B.による縄文フィールドワークについての対談動画です。


津田直 Nao Tsuda
1976年神戸市生まれ。世界を旅し、ファインダーを通して古代より綿々と続く、人と自然の関わりを翻訳し続けている写真家。文化の古層が我々に示唆する世界を見出すため、見えない時間に目を向ける。主な作品集に『SMOKE LINE』、『Storm Last Night』(共に赤々舎)、『Elnias Forest』(handpicked)がある。
tsudanao.com