Connect
with Us
Thank you!

PAPERSKYの最新のストーリーやプロダクト、イベントの情報をダイジェストでお届けします。
ニュースレターの登録はこちらから!

弟子入り

志田明恵

後継者不足が叫ばれ「弟子入り」という言葉すら聞かなくなってきた現代。それでも尚、職人の世界へ飛び込み、奮闘する若者がいる。10代、20代からその道をいく彼らは、これまでの選択をどう下し、今後どんな未来の展望を描いているのか。「弟子」に聞き、撮る。

09/14/2022

福島県大沼郡三島町の会津桐タンス株式会社に、18歳で弟子入りした女性がいる。志田明恵さん、現在21歳。大学への進学率が上昇し続ける今の日本で、高校卒業の段階から自分の好きなことを認識し、直談判で「弟子入り」を志願する18歳を、耳にしたことがあるだろうか。東京で生まれ育った彼女が、なぜ福島の職人の世界へ修業に出たのか。そして修行を経て独り立ちした今も、都会から離れ創作を続ける理由とは。活動拠点である生活工芸館を訪ねた。

志田さんがものづくりへ興味を持ったのは父親の影響から。日曜大工が好きな人で、家には工具が一式揃っていた。小学生の頃から、東京都文京区の谷根千エリアの雑貨屋巡りが好きで、放課後や週末には友達や母親を誘い出かけていた。中学に上がるとインテリアの本や雑誌を読み、高校は木工細工に特化した学校へ進む。

職人の世界へ憧れを強めたのは高校2年のこと。江戸指物の伝統工芸士が外部講師として行っていた授業を受けた際、その先生の仕事に心を奪われた。特に箪笥。どっしりとした見た目に重厚感もあって、昔から好きだったと話す。

しかし、高校3年の夏休みまでクラスメイト同様、卒業後は進学を考えていた。

「高校2年から狙っていた大学もあったので、弟子入りなんて全く考えていませんでした。ただ親も交えての三者面談のときに、急に『就職します』と自分の口から出て。というのも、なんとなくですが、高校3年あたりから自分主体で動いているだけでは何事も仕事にならないと意識を持ちはじめて。大学の4年間という膨大な時間の中で自身の創作と向き合うことよりも、毎回納期という有限な時間の中で、他者を意識しながらどこまで精度の高いものをつくれるか、そこを追求したいと考えました。いずれ職人やプロの域に行けば、いくらでも時間をかけて好きなものづくりができると信じ、それなら今の私ができないことに挑戦しようと、考え方が変わり始めました」

三者面談以降、急遽志田さんの弟子入り活動が始まる。とはいえ、いきなり「弟子にして下さい」と電話をかけても、「高校生だから」「女の子だから」と断られてしまうのが現実。そんな中「やりたいんだったらおいで」と唯一受け入れてくれたのが会津桐タンス株式会社だった。

2019年4月、東京の実家を離れ、福島県大沼郡三島町での生活が始まる。親元を離れての生活、師弟関係の厳しいイメージも強い職人の世界、弟子入りに不安はなかったのだろうか。

「なんでもやる覚悟を持ってここに来ました。ただ後継者がいない状況と、私が一番年下なことも重なって、本当にみなさん親切に、細かく、指導してくださいました。親元を離れることにも不安はなかったです。逆に、もう嫌だと投げ出したくなってもすぐに戻れない環境でないと、甘えてしまうと考えていました。好きなことを選んでここに来たわけですし、一時の気の迷いで辞めないためにも親元を離れる必要がありました」

志田さんの言葉の端々から伝わる固い決意。なぜそこまで、若くして、ものづくり、そして自分自身と正面から向き合えるのか。

「私、本当に取り柄がないんですよ。勉強とかも苦手で、他に得意と言えるものも全然なくて。でもものづくりに関しては、上手い下手はさておき、本当に好きだなと。なので唯一の取り柄を、ちゃんと自分で大事にしていきたいと思っています」

今年4月には3年間の修業期間を満了し、正式に就職できるにもかかわらず、独立を選択した。三島町出身の10代、20代が進学や就職で他府県へ移住する中、志田さんは今後もこの場所から創作を続けていきたいと話す。

「福島県は、桐の全国生産量の4割を占めていて、日本一を誇ります。私も三島町の木だけを使って創作しているわけではないのですが、その土地でできたものを使ってつくることは、高校生のときから憧れる職人像でもあります。都会と比べ不便なことも多いのですが、これだけ材料に恵まれた場所は他にないとも感じています。だからこそ、この土地での創作というか、この環境だからできることをもう少し考えてみたいんです。これまでの古い考え方や方法も残しつつ、今後はもっと木を身近に、使う場所や人にも限定されないデザインの、ものづくりをしていきたいです」