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伝統を日々、結いあげる|床安(西村安士) Sumo Ryougoku (2)

蒸し暑さを感じる、東京の昼下がり。床安こと、西村安士が働く相撲部屋、出羽海部屋を訪ねた。西村は私たちを先導して階段をのぼり、事務室、土俵、共同の炊事場、トイレの前を通って最上階の大部屋に案内してくれた。部屋のあちこちに力 […]

01/29/2014

蒸し暑さを感じる、東京の昼下がり。床安こと、西村安士が働く相撲部屋、出羽海部屋を訪ねた。西村は私たちを先導して階段をのぼり、事務室、土俵、共同の炊事場、トイレの前を通って最上階の大部屋に案内してくれた。部屋のあちこちに力士が陣取り、布団の上に寝転んでいる。
「私が新米のころは、ここで力士と一緒に寝ていました」、西村はそう言いながら、この大広間の一角を指さす。彼は11年間、この部屋に住みこみで力士の髪を整える「床山」として働いていた。部屋を出た現在も、力士の正装の一部でもある「髷」を結うために毎日部屋に通う。
江戸時代、髷は身分の象徴であり、武士階級に好まれていた。だが、1876年に明治政府が近代化を進め、武士階級の権力を弱めるために髷を禁止。髷を公式に許されたのは力士だけとなった。現在、日本相撲協会が力士の髪の手入れをするために、床山を協会に所属させている。取組のための髷も、普段の稽古のための髷も、こうした床山が結っている。
西村の「床山」としての物語は、15歳で長崎から上京したときに始まった。初めて相撲の取組を見たのが1966年、その3ヵ月後に働き始めたという。床山という仕事はただの「床屋」ではない。髷は大相撲を大相撲たらしめるもののひとつ。古き江戸時代を再現し、大相撲と伝統的な日本を視覚的かつ象徴的に結びつけるものだ。力士がこの髷をしていなければ、私たちのまわりで昼寝をしている力士たちも、いびきをかきながら午睡をむさぼる太った男たちにしか見えないかもしれない。けれど、彼らはすでに5時間の稽古を終えている。西村は彼ら全員の髪を整え、髷を結いあげている。今日もいつもと同じく、小さな金属製の道具箱から、数種類の櫛、金属製の髷棒、髷をしばる紐(元結)、鬢付け油を取りだした。西村は前日に髷をしばった元結を切って外し、力士の長い髪をていねいに梳いていく。髷からはみだした髪は一本ずつすべてカミソリで切りそろえ、鬢付け油をすり込む。それから髪を慎重にまとめ、元結でまたひとつにまとめる。
「新米のころは、毎日百人くらいの髷を結っていました」と西村は話す。その言葉を証明するために見せてくれた両手はタコだらけだった。左手にいたっては、力を込めて同じ作業を繰り返したために変形していた。彼の身体のほぼ全体に、技が染みこんでいる。「いまではなにも考えずに結うことができますよ。身体がやりかたを覚えていますから」。
  
床安(西村安士)
1950年、長崎県生まれ。特等床山として、出羽海部屋の力士の髷を結い続ける。
 
This story originally appeared in PAPERSKY’s ARGENTINA | ART Issue (no.43)
Photography & Text: Cameron Allan Mckean Coordination: Lucas Badtke-Berkow