ニューヨークの旅のパートナー、写真家・若木信吾

高校を卒業して渡米し、ニューヨーク州北部で写真を勉強した若木信吾さん。1994年から1995年にかけて、駆け出しの2年弱を過ごしたこの街は、若木さんにとって特別な街だ。「初めてNYに来たのは1989年。クレイジーな人が多 […]

12/02/2010

高校を卒業して渡米し、ニューヨーク州北部で写真を勉強した若木信吾さん。1994年から1995年にかけて、駆け出しの2年弱を過ごしたこの街は、若木さんにとって特別な街だ。「初めてNYに来たのは1989年。クレイジーな人が多かったし、怖いイメージだった。卒業後に住みはじめたら、バブル手前で治安がだんだんよくなって、友だちも増えて、夜中に出歩いたりもできるようになった。いまは、さらに住みやすい場所になって、僕がいたころとまったく違う、新しいニューヨークだなと感じる」
15年前、若木さんが暮らしながら撮っていたNYと、今回の旅で撮ったNYは、若木さんのなかでどう変わったのだろうか?
「当時は、たとえばスケートボーダーのように、ちょっと危ういカルチャーに惹かれていたし、もっとぎらぎらしたものを探して、夜の街や人混みに出かけていったりした。いまは同じ街を撮っていても、いつどこでなにを撮ったか、という時間の記憶が残らないような方法で撮っている。記録するために撮っていた写真が、最近では記憶とリンクしなくなってきたんだ」
NYで生き残ろうと必死だった若木さんがNYを離れることを決めたきっかけのひとつが、仕事でNYにやってきた高橋恭司氏のアシスタントをしたことだった。
「NYのシステムのなかでどう生き残るかに捕われていた自分に、高橋さんがアルフレッド・スティーグリッツの話をしてくれた。純粋な写真の話だった。アメリカに来る前に、そういう写真が好きだったことを思いだして。そんな日本人がいるんだったら、日本に帰るのもおもしろいかもしれないって思った」
ひと言で「写真」といっても、ファッション写真、ストリート写真というようにセグメントに分かれ、自分の世界の外で起きていることが見えなくなりがちな土地柄だから、離れて初めてわかったことも多かったという。
今回の旅で会えたアルバート・マイズレスのような作家がいることも、この街を離れたからこそわかったこと。NYを離れてから、長い時間をかけて忘れた未練を、今回の旅で思いだした、という若木さんに、けっして優しくないNYの最大の魅力はなにかと訊いた。
「いろんな場所から野望をもってやってきて戦っている人たちの気迫に満ちている。この街で暮らすということに対する思い入れも強い。そんな街は世界中、どこにもない。歩いているだけでエネルギーの刺激を受けるよね」