ニッポンの魅力再発見の旅 茨城

東京から特急列車で約75分の距離にありながら、可住地面積は全国上位。毎年、農業産出額は全国トップ3入りで、全国3位までの農産物は約三十種。その豊かさのルーツに水戸の光圀公ありと聞き、いまも親しまれる偉人の足跡をたどる旅に […]

04/23/2019

東京から特急列車で約75分の距離にありながら、可住地面積は全国上位。毎年、農業産出額は全国トップ3入りで、全国3位までの農産物は約三十種。その豊かさのルーツに水戸の光圀公ありと聞き、いまも親しまれる偉人の足跡をたどる旅にでかけた。
徳川光圀公がいまも偉人として語り継がれる最大の功績は、日本の歴史をまとめた『大日本史』の編纂だろう。過去を明らかにして未来を考える「彰往考来」という意識のもと、学者を派遣し各地の資料を求めた。それこそ私たちにとって親しみのある、時代劇で諸国を漫遊するイメージにつながる。その実、水戸と江戸の往復や鎌倉巡遊が中心で、光圀公の活動の範囲はさほど広くなかった。ただ劇中に描かれる世のため人のために生きた人物像やエピソードは、実際の光圀公の言動にあったと、今回の旅でひとつひとつ実感することができる。
御三家でありながら自ら発起し編纂を始めたのも、光圀公が18歳のときに読んだ中国の歴史書『史記』に感銘を受けた経験にある。家康の孫として奔放に生きていたことを反省し、一転して学問に没頭。先人や歴史に学ぶことで人生が変わることを知った体験から、使命のごとく生涯をかけて取り組んだ。パソコンやコピー機などもない時代の困難な作業には、水戸家12代250年にわたり膨大な時間と労力、資金が費やされた。その情熱は光圀公没100年後に誕生する斉昭公を筆頭に代々の藩主へ受け継がれ、ひいては幕末を突き動かす一端となったのだから計り知れない大事業だ。
江戸を離れ、73歳で亡くなるまで隠棲した西山御殿での10年。華美を嫌い、わずかな身のまわりの品と膨大な書物を持って、光圀公は30歳で始めた修史編纂に没頭して過ごした。「お籠も嫌いで、亡くなる1週間前まで馬に乗って水戸の医者の元へ行ったそうですよ」西山御殿を守る清水信子さんは、親しみをもって案内くださった。「領民にも門をくぐるという体験をさせたいと、民を大事に思う光圀公のお心から、表門である突上御門より、通用門のほうが立派なんです」。自ら耕していた水田や植えた梅。蓮を浮かべた池、食料や薬にもなる果実や薬草などがあって、人柄や功績を随所に感じる。光圀公の理想の世界へと足を踏み込むことで、ふと心が安らいだ気がした。
医学への関心も高かった光圀公は、隠居後66歳のときに、日本最古の家庭の医学書ともいえる『救民妙薬』を発行する。粉末にしたキキョウの根は、痰を伴う咳や喉の痛みによい。葛の根は風邪の引き始めに効き、花は陰干しして粉状にし、葛湯として飲めば二日酔いに効く……など、ほとんどが水戸藩内で採れる薬草を材料にした処方で構成されていた。水戸市植物公園園長の西川綾子さんは、ご自身で育てたハーブをブレンドした特別なお茶で私たちを出迎えてくれた。「なるほどと思うものから、えっ、と疑うような使い方も含め、藩内の貧しい人たちが医者にかかれず薬もなかった時代に、とにかく必死になって人を救おうとしていたことが、医学書を読めば伝わります。技術だけでなく、人を思い、人の命を尊重する仁の心の表れですね」。園内には、生きた標本として、大切に集め育てられた水戸藩ゆかりの薬草エリアもある。軽快で楽しい西川節は、歴史も薬学も植物学もまとめて教えてくれる。時代を超えて、彼女の心と光圀公のスピリットが重なるようだった。
そういえば、西山御殿で育てられていた蓮は思わぬところへ渡っていた。霞ヶ浦湖畔にどこまでも続く蓮の田んぼ。私たちが訪れた2月には、胸までしっかり浸った農家さんたちがあちこちでレンコンの収穫に追われていた。霞ヶ浦と北浦に挟まれた行方市は水戸藩の領地。水戸から鹿島へつながる街道に面して建つ大山守大場家郷士屋敷は、領内巡視する藩主の宿泊所としての役割を担っていた。「このあたりの土壌がレンコンに向いているからか、光圀公の家臣による書状とともに蓮の実が届けられました。蓮の花が入った鉢は民の手から手へ、バケツリレーのようにして運ばれたそうですよ」。稲作がさかんな土地が、農業産出額全国1位のレンコンの郷へ変わったのは、光圀公のおかげかもしれない。
コウゾを原料とし水に強く丈夫な和紙・西之内紙は、『大日本史』でも用いられ光圀公が命名したともいわれている。領内での紙の産出がまだ少なかった時代、ここでも光圀公がコウゾやミツマタを植えさせたそうだ。「今では稀少な材料のコウゾですから、私たちは家族総出でつくっています。手すきの和紙が見直され、各地から難しい要望やオーダーが飛び込んでくるおかげで、やりがいも大きいんです」。伝統工芸士である菊池大輔さんの奢らずまっすぐな眼差しとやってみせるという紙すきへの姿勢に職人気質が滲み出る。
「光圀公をはじめ斉昭公の『食菜録』などの文献をもとに現代人の味覚に合うような料理を復元した黄門料理があります。最初はレシピを見ても難解で困りました。でも、太閤(秀吉)=鯛昆布巻きなど、駄洒落のような料理もあって、楽しくなります」。中川学園校長の中川順一さんと黄門料理をいただきながら聞く話は、じつに楽しかった。御殿でどぶろくを手づくりし、手打ちうどんを領民とともに食した光圀公。植物・料理・伝統工芸と、常陸の国の人の暮らしのあれこれに息づく光圀公の魂を感じ、ここで暮らしてみたいと、思わず嫉妬した自分がいた。
 
PAPERSKY Tour de Nippon in 茨城(2019.5.25-26開催)
www.papersky.jp/tour
令和元年、最初のツール・ド・ニッポンが旅するのは茨城県。水戸黄門として知られる徳川光圀公の医学にも食にも通じていた生き方や考え方に触れながら自転車でめぐります。1日目は、壮大な霞ヶ浦と一面に広がる蓮田を爽快に走り、水戸藩主ゆかりの場所や食を楽しみます。2日目は、光圀公が晩年を過ごした住まいや歴代藩主も歩いたかもしれない山川、のどかな町を訪ねながら水戸の偕楽園を目指します。