郷土菓子研究家・林周作|PAPERSKY Interview

郷土菓子を巡るべく、ユーラシア大陸をひとり自転車で横断した林周作さん。ひたすら甘いもの探し続け、食べ続けたその数32ヶ国、300種。そして各地で出会ったトピックを盛り込んだ自費出版新聞を制作しながら旅をした一連の経験が今 […]

02/08/2017

郷土菓子を巡るべく、ユーラシア大陸をひとり自転車で横断した林周作さん。ひたすら甘いもの探し続け、食べ続けたその数32ヶ国、300種。そして各地で出会ったトピックを盛り込んだ自費出版新聞を制作しながら旅をした一連の経験が今、一冊の本になり、コラボカフェをオープンさせるという形で結実している。
―学生時代から自転車で旅をしていたと聞きました。
 はい、昔から好きでした。高校生のときにはママチャリで東京から京都とか。
―え、ママチャリで?
 ギアなしの中古で箱根の山を越えました(笑)。ホテルに泊まるお金なんてないんで、カラオケボックスやファミレスで仮眠をとりながら移動して。半分寝ながら走っていたら草むらに突っ込んで、タイヤが曲がってしまった。三重の鈴鹿峠もそのタイヤで越えました(笑)。
―なぜ、やろうと思ったんですか?
 …なんとなく、地図帳を見てたら(笑)。
―そんな高校生活ののち、食の道へ?
 料理の専門学校へ進みました。卒業後はイタリアンのレストランとパン屋で働きました。世界の郷土菓子に興味をもち始めたのはそのころです。京都の街ではフランス菓子以外はあまり目にしないことに気がついて、調べてみるとヨーロッパ各地に郷土菓子がいっぱいあることを知りました。最初はネットでレシピを調べて、自分なりに再現していました。
―見たことも食べたこともないものを自作してみる、という入り方だったのですね。それで、現地まで行って本物を食べてみたいという考えに至った?
 はい。働きながらお金を貯めて、20歳のときに3ヶ月間、ヨーロッパをまわって。そのとき見たお菓子を帰国後つくっていたのですが、もう少しちゃんと見てまわりたくなって、21歳のときにビザを取ってフランスに1年行きました。
―それも高校時代のママチャリ旅と同じような感覚なのかもしれないですね。今度は地図帳でなく、ネットで見てたら行きたくなった、みたいな(笑)。
 なんとなく無理なことではないと感じてましたけど、でも帰れる気もしてなかった(笑)。そのときは楽しくて、とにかく東へ向かおうくらいの感覚でした。
―なぜフランスを選んだんですか?
 ビザが取りやすかったというだけで、正直どこでもよかったんです。でも陸地がつながっているから、ここにいればいろんな場所に行けるぞと。とはいえ働いていたら全然休みも取れず、思っていた動きができなかったんですよね。そんなこともあって、お菓子屋の契約満了まで働いて、すぐに自転車を買い、旅が始まります。ついにギアつきです(笑)。
―具体的なプランはあったのですか?
 スイス、ドイツ、オーストリア、ハンガリーに行って、クロアチア、ボスニア、ルーマニア、ブルガリア、トルコをまわり、グルジア、アゼルバイジャン、トルクメニスタンから中央アジアで中国まで突っ切るという、なんとなくの計画は一応ありました。
―で、宿泊は一般家庭に…。
 毎晩、民家の扉をノックして「泊まらせてください」とお願いしました。1軒目でOKということもあれば、何時間もかかることもあって。1日だけ野宿しましたが、3ヶ月間、毎晩泊まらせてもらえました。お礼にはお菓子をつくって渡してたんですよ。鍋や蒸籠などの道具と、和菓子の材料を荷物に詰めていて。どら焼きなら、小麦粉と蜂蜜で生地を焼いて、あとは乾燥豆さえあれば、あんこを炊けますから。
―見知らぬ外国人から突然泊めてくれなんて言われたらびっくりされて当然ですが、親切な人に恵まれたわけですね。
 本当に助けられました。唯一、ボスニアの宿泊先で盗難に遭って、それで懲りてしまってからはホステルに泊まるようになりました。食費は1日500円までと使用限度を決めて節約していたんですが、新聞(旅先で出会った郷土菓子をテーマにした自費出版新聞『THE PASTRY TIMES』)をつくる必要性からタブレットとカメラを買ったんです。久しぶりに大きな買い物をして、お金の感覚がちょっとおかしくなっちゃって…。郷土料理のレストランで飲み食いして楽しんでたら、お金がなくなっちゃいました(笑)。
―そりゃそうでしょうね(笑)。
 グルジアあたりで金が尽きたので、旅の様子を日々アップしていた自分のウェブサイトでスポンサーを募集することにしたんです。そうしたら支援が集まって。
―そのサイトと新聞の読者が支援してくれたのでしょう? それもすごい話ですよね。『THE PASTRY TIMES』は旅をしながら発行していたのですか?
 そうです。旅先で原稿をつくってネットで入稿して、印刷されたものは日本に届くようにして。知り合いの店やギャラリーに配布してもらっていました。
―ということは、制作者である林さんは当時、現物を見ていない?
 言われてみれば、そうですね(笑)。
―そもそも、どうして新聞をつくろうと思ったんでしょう。
 これから自分のなかでビッグプロジェクトが始まるというところで、メディアに発表したいと思ったんです。雑誌社や新聞社に企画を持ち込んでみたけれど、実績があるわけでもなく採用されず、どうしようかなと思っていたところに、アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さんが『The Future Times』という新聞をつくっていることを知り、そうか、自分でつくればいいのか、と。『THE PASTRY TIMES』というタイトルもそこから拝借しています。
―支援のおかげもあって、2014年2月、ベトナムに到達できた時点で一時帰国。2015年4月にインドネシア経由でベトナムに入って旅を再開し、当初のゴール地点に設定していた中国・上海に同年12月に行き着き、一連の旅が終了したわけですね。1年間帰国していた間は、自転車はどうしていたんですか?
 ベトナムに置いてました。現地で知り合った友だちの家に停めさせてもらって。
―旅を必ず再開するつもりでいたということですね。その旅の友である愛車は、今はどこに?
 中野です(笑)。上海から船で大阪に運び、そこから京都までは乗って帰りました。京都からこっち(東京・中野)へは西濃運輸さんに運んでもらいました(笑)。
―いろいろ手段があるなかで自転車を旅の手段にした理由は?
 まず自転車が好きだったというのがあります。まあ、ママチャリしか知らなかったんですけど(笑)。お金がなかったのも大きかった。中央アジアなんかはバス代がものすごく安くて、自転車に乗ってると必要な飲料水代のほうが高いんじゃないかという場面もありましたが(笑)、自転車じゃなかったら民家に泊まらせてはもらえなかったと思います。自転車でユーラシア大陸を横断するというだけで注目してくれる人もいるだろうという思いもありました。おもしろかったんですけど、とにかく時間はかかりましたね。お菓子を調べるために旅をしているはずなのに、何もない田舎道を何日もひたすら走ってるだけとか(笑)。
―どこの場所にも郷土菓子はありましたか?
 ほとんどあります。トルコやオーストリア、フランス、イタリアなど、王国や宮廷があった国はだいたいお菓子は豊富ですね。中央アジアなどソ連の影響があったようなところは、素朴なものが少しあるくらい。それでも甘いものがまったくない国っていうのはなかったです。
―どこのお菓子がいちばんよかったですか?
 トルコとインドは発展しているうえに異文化なので、僕にとっては想像もつかないような発見が多く、すごくおもしろかったですね。
―最も甘党な国はどこでした?
 インド。そして中東、ヨーロッパ、アジアの順です。まあ、日本に比べたらだいたい甘いですよね。トルコとか忙しい国になると、朝から夜までお菓子を食べ続け、気持ち悪くなっては胃腸薬を飲んで(笑)。ほんとにお菓子と胃腸薬の毎日。ビザの関係で滞在期間が限られているので、急いで次の街に行って、そこの郷土菓子を食べなければならないので。
―うわ、汗まで甘くなりそう! おいしくないお菓子もありました?
 たくさんありますよ~(笑)。毎日山のようにお菓子を食べていて、おいしいのは3割くらい。下調べはせずに店を見つけるととにかく買って食べてみるので、おいしいのに当たることもあれば、そうでないこともある。おいしいのが見つかるまで同じものをいろんな店で買って食べ続けるんです。
―けっこう苦行なんですね(笑)。でもその分、おいしかったときの喜びはひとしおですね。次の計画はあるんですか?
 なんとなく南米に行きたいという思いはあるんですけど、具体的にはまだ何も。
―Binowa Cafeも始まったところですしね。大丈夫? どこかへ旅したくなったりしてませんか?
 それが、じつはもう出かけたくなっちゃってます(笑)。
 
林周作(はやし・しゅうさく) Shusaku Hayashi
1988年、京都生まれ。2008年、エコール辻大阪フランス・イタリア料理過程卒業。イタリアンレストランとパン屋に勤務後、2012年、郷土菓子を巡るべくユーラシア大陸を自転車で横断。現在は東京・渋谷のBinowa Cafeにて、旅の成果をメニューとして提供中。著書に『THE PASTRY COLLECTION』。アジアの郷土菓子を収録した続編上梓を予定している。
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