NEW JAPANESE PHOTOGRAPHY 写真家たちの併走者

1974年、15名の日本人写真家による『New Japanese Photography』展がMoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催された。参加写真家は、土門拳、石元泰博、東松照明、川田喜久治、内藤正敏、一村哲也、土田 […]

11/30/2010

1974年、15名の日本人写真家による『New Japanese Photography』展がMoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催された。参加写真家は、土門拳、石元泰博、東松照明、川田喜久治、内藤正敏、一村哲也、土田ヒロミ、深瀬昌久、奈良原一高、細江英公、森山大道、秋山亮二、ケン・オハラ(小原健)、田村彰英、十文字美信。そして、キュレーターは、MoMA 写真部門ディレクターのジョン・シャーカフスキーと『カメラ毎日』編集長の山岸章二。日本の写真がはじめて本格的に海外に紹介された記念碑的な展覧会として、その意義は写真関係者の間では周知のものだ。しかし、そのカタログの謝辞に、翻訳などの手助けをした石元泰博の名に続いて、ある日本人の名が記されていることはあまり知られていないだろう。
“Toshio Saito”。その名の後には、「各写真家の過酷な個人基準に応じて、展覧会プリントを制作してくれた」という言葉が添えられている。
細江英公、ケン・オハラをのぞく13名のプリントを仕上げた“Toshio Saito”とは、現在、赤坂にあるPhotographers’ Laboratory でモノクロのプリンターを務める斉藤寿雄さんのことである。謙虚な斉藤さんは照れてしまうかもしれないが、「戦後日本写真と併走してきた伝説のプリンター」と呼んで、異議を唱える人はいないはずだ。中学を卒業し、就職難の中、とにかく仕事ができればとジーチーサンに入社。主に宣伝用の写真を扱う制作会社だったが、エドワード・スタイケンが企画した『ファミリー・オブ・マン』の日本展のプリント制作を手がけ、その現場を見たことが斉藤さんを芸術写真へと引き込むきっかけとなる。その後、ドイ・テクニカルフォトに移り、荒木経惟、久保田博二、篠山紀信、白川義員、濱谷浩、宮本隆司──錚々たる写真家たちと数々の名作プリントを生み出していく。
『New Japanese Photography』の仕事が舞い込んだのは、斉藤さんが30代半ばのときだった。「これは、土門拳さんとのご縁からでした。それより前に、広島の原爆をテーマにしたシリーズを写真集にするという話があって他のラボに依頼したのだけど、土門さんがどうも気に入らない。それで、斉藤やってみろと、社長に言われまして」。この仕事でつかんだ信頼が、13名の写真家のプリントを1人で引き受けるという大プロジェクトに結びついたのだ。「とにかく見て来いということで、まずはニューヨークに行きました。社長や山岸さんも一緒です。MoMAは膨大なオリジナルプリントを所蔵しているので、私はパスをもらって、2週間、毎日通ったんですよ」。
全部で1,000枚以上のプリントを見たという斉藤さんに、印象的だった写真家を訊いた。「エドワード・ウェストンですね。全体も、もちろんいいのですが、部分部分も絵になっていて。感激しました。シャープネスやグラデーションも素晴らしかった」。
斉藤さんを驚かせたのは、プリントのクオリティーだけではなかった。芸術として写真を遺していこうとするMoMAの姿勢にも衝撃を受けたのだ。「絵画と同じ扱いです。長期保存用の仕上げがされていて、後世に遺す処理がすでに確立されていました」。斉藤さんは、セレン調色をはじめ、その技術も持ち帰った。それまでの日本では、写真を美術館に収蔵したり販売することが一般的ではなく、プリントは印刷原稿という考えが主流だった。素手で触るのは当たり前、トリミングの指示はプリントに直接書いたという話もあるほど、プリントを取り巻く環境は整っていなかった時代の話である。
マンションの地下にあるボイラー室を改造した斉藤さんの暗室には、現像・プリントに関するさまざまなものが所狭しと並ぶ。特製の道具もちらほら。扉の内側に貼りつけられた数多くのマスクには、各写真家の名前が記されている。この場所で、日々、名プリントが生み出されている。
若手から大御所まで多くの写真家が、絶大な信頼を寄せるPhotographer’s Laboratory。プリンターと直接コミュニケーションが取れる環境は、写真家にとって魅力である。効率を優先すれば省略される、このようなプロセスを大切にするラボは多くない。現在、斉藤さんの他にプリンターは2名。斉藤さんに技術を学んだ後継者である。
「プリントに対する考え方が大きく変わった」という興奮とともに帰国してから、実際の準備は約2ヶ月という短いものだった。「点数が多い作家さんで30点ぐらい。大変でしたけど、時間内に仕上げるのがプロの仕事ですから」。斉藤さんは、きっぱりと言い切る。若い写真家たちとは一緒に暗室に入ってともに格闘した。「作家のイメージに沿うように、丁寧に個々にチェックして。そんな中でも、私なりの+αも出せたと思います」。この展覧会がきっかけで始まった、田村彰英や土田ヒロミとのコラボレーションはいまも続いている。
斉藤さんは、7年前、設立と同時にPhotographers’ Laboratory に移った。力道山が建てた「リキマンション」の地下にあるボイラー室を改造した、その名の通り、写真家のためのラボである。芸術写真に本格的に携わるようになって約50年。「やはり、プリンターはプリントの中で表現できないと。奥が深いですよ。1枚のネガからプリントは無限に生まれますから」と語る。これまでに仕事をした写真家は200名を超え、2009年には東京カメラ倶楽部より写真文化勲章が贈られた。
ところで──斉藤さんは写真を撮らないのですか? と尋ねると、「撮りたいんですけどねぇ。いまは、仕事に集中したいから」と真剣な面持ちで答えた。そして、自分で言うのも何ですが、と前置きし、「写真は文化ですよね。文化を後世に遺していくためには、プリンターはすごく大事だと思います。ネガだけがあっても、どうしようもない。プリントがあって、作品として遺すことができる。だから、いいものをつくっていかないと駄目なんです」。フィルムのメーカーだと勘違いしてラボに入社した少年は、戦後日本を写真とともに走り続け、写真芸術を未来に繋ぐマイスターにたどり着いたのだった。(敬称略)
Photographers’ Laboratory
(フォトグラファーズ・ラボラトリー)
東京都港区赤坂7-5-34 赤坂リキマンション10
Tel: 03-3583-1607
www.photographers-lab.com
This story originally appeared in Papersky No. 34.
Photography: Cameron Allan McKean Text: Mikiko Kikuta

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