北の縄文から「時」を問い直す|津田直

氷河時代が終幕を迎え、海面の上昇によっておよそ1万5千年前に大陸から分離し、現在の日本は細長い列島として歩みはじめた。ここは海に囲まれながら、内陸部ではすでに山脈が連なっていた。天から降り注ぐ恵みの雨が潤した大地には森が […]

12/16/2014

氷河時代が終幕を迎え、海面の上昇によっておよそ1万5千年前に大陸から分離し、現在の日本は細長い列島として歩みはじめた。ここは海に囲まれながら、内陸部ではすでに山脈が連なっていた。天から降り注ぐ恵みの雨が潤した大地には森が繁り、山から谷へそして海へと繋がる川は無数に広がっていたことだろう。まだ国と呼べる根幹などなく、人間は植物や動物と同じように自然界の一部として、慎ましく生きていたに違いない。僕らの原風景にはそんな暮らしがあったはずだが、永い月日を経て自然との対話をも怠り、距離を置くようになってしまった。人はいつから海や山、川や森の木々や石、草花や動物たちと結んできた共生の輪から外れてしまったのだろうか。僕がこの国の基層といえる縄文文化に目を向けはじめたのは5年前である。それはそんなことへのいたたまれない想いが募りはじめたことと、ささやかな出来事がきっかけとなっている。
ある冬のはじまり、秋田の山道を友人と歩いていた時、「この辺りって縄文人が暮らしていたんだよ」と思い掛けない言葉が飛び込んできた。そして彼は、僕らの立っているすぐ横の湿った地面から土器の欠片を拾い、手のひらで砂を払いのけ、縄文の文様を浮き上がらせたのだった。友人は嬉しそうに「縄文後期の土器だね」と一言。「えっ、そんなに縄文時代と僕らの足元は近いの?」と聞くと、「繋がっているからね」と返してきた。以来、僕は日本各地を訪れる度に、時間を見つけては縄文フィールドワークを繰り返すようになっていった。そうすると、全国的に知られている東北地方や八ヶ岳山麓、信濃川流域の遺跡群などに限らず東京や神奈川、千葉など首都圏にも多くの集落跡や貝塚が点在していることが分かり、日本列島の連なりへの見方が大きく変わっていった。
今秋に入り、北方の縄文文化を辿りたいと思い旅に出た。向かったのは青森県と北海道の道南地域。かつて津軽海峡を越えてひとつの文化圏を築き上げていった地域であり、縄文遺跡も数多く残されている。北海道東端の根室から道南の噴火湾地域へ、さらに函館からフェリーで下北半島へ渡り、むつ市から南下し青森市へと巡った。この旅では狩猟採集に加え漁労を中心として生きた縄文人たちの生活道具や祈りの道具にも素肌で触れることで、身を以ってその歩みを知る経験へと繋がった。函館市縄文文化交流センター館長の阿部さんとは「時間軸の捉え方」について話が膨らんだ。彼は「縄文人は現代人のように、過去・現代・未来と区切り時間を見ていないようなところがあるね」と語ってくれた。つまり、縄文の人々が「時」というものを捉えるときに「過去・現在・未来」それらを一体のものとして捉えてゆく大きな目があったのではないか。それは彼らの生活空間とお墓の近さ、出土している祭祀道具と思われる土面や装飾の施された土製品などからも想像することができる。土器の文様を見ていても、三内丸山遺跡で見られる文様と同様のものが海を越えた道南でも出土しているが、驚くことにその形の中には幾千年もの間ほとんど変わらず受け継がれたものもあるという。現代を取り巻く環境では、あらゆるものが高速に変化するため、僕らは古来より何百年と続く祭りなどを継承することが困難になってきている。しかし縄文時代では、それを可能とした人々の生きた知恵が様々な姿・形で存在していた。
僕達の足元には、縄文の世界が1万2千年の分厚さでいまなお眠り続けている。その逞しい眼差しに触れたければ、彼らの手によって作られた道具や遺したものを丁寧に眺めることからはじめればいい。未来を担う者たちが、古から受け継がれてきたものに触れ、その先に道を拓いてゆくのならば、再び自然と人間が対話する「時」の訪れは、そんなに遠い未来の話ではないのかもしれない。
 
津田直 Nao Tsuda
1976年神戸生まれ。ファインダーを通して古代より綿々と続く、人と自然との関わりを翻訳し続けている写真家。国内では2009年より「縄文」をテーマに撮影を重ねている。本誌では連載「Jomon Fieldwork ~賢者の欠片」(P92-95)として、各地の縄文遺跡での体験を美しい写真と文章で表現している。
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» PAPERSKY #46 Northern Japan | Jomon & Craft Beer Issue