江戸時代の技と叡智を未来へ繋ぐ 名古屋城本丸御殿

大都市・名古屋のシンボルともいえる名古屋城。その一角をしめ、かつては尾張藩主の住居かつ政庁として使われていた本丸御殿が、10年に及ぶ復元計画を終え、昨年完成公開した。 1610(慶長15)年、徳川家康により名古屋城築城の […]

12/19/2019

大都市・名古屋のシンボルともいえる名古屋城。その一角をしめ、かつては尾張藩主の住居かつ政庁として使われていた本丸御殿が、10年に及ぶ復元計画を終え、昨年完成公開した。
1610(慶長15)年、徳川家康により名古屋城築城の命が出され、天守閣が完成した3年後の1615(慶長20)年、家康の九男で初代尾張藩主の徳川義直の居室として、本丸御殿が完成。その後、1634(寛永11)年の三代将軍家光の上洛に合わせ、上洛殿などの建物が新たに建造された。本丸御殿の内部は障壁画や欄間、飾金具などで豪華絢爛に装飾が施され、まさに江戸期の最先端の技術が集結した近世城郭御殿の最高傑作だった。1930(昭和5)年には国宝第一号に指定された本丸御殿だが、1945(昭和20)年に戦火で焼失。永らく復元が待ち望まれていたが、2009(平成21)年から復元工事が始まり、2018(平成30)年、寛永期の姿で見事に蘇った。
幸い、江戸時代の図面や記録、昭和初期に作成された実測図や写真が残されていたことにより、他では類を見ないほど史実に忠実な復元が実現した本丸御殿。その総面積は3100平方メートル、部屋数は30を超える。格式や儀礼を重んじた書院造で造られており、藩主に謁見する人が対面を待つ玄関(2室)、慶長の創建時には最高格式で正式な謁見に使用された表書院(5室)、藩主が身内や家臣との対面や宴席に使用した対面所(4室)、将軍家光の居室となった最も絢爛豪華な上洛殿(6室)など、使用目的が明確に分かれた部屋が荘重に並ぶ。それぞれの部屋には異なる意匠、装飾が施されており、格式や権威が視覚的、空間的に表現されている。
本丸御殿の中をめぐると、日本画史上最大の画派、狩野派の絵師によって描かれた障壁画のモチーフや天井、欄間の仕様、飾金具の一つ一つが、部屋の格式によって美しく変化し、武家文化の粋や美意識を感じずにはいられない。戦乱の世が終わり、その後約260年続く江戸時代の基盤が築かれた時期の素晴らしい技と叡智は、名古屋の中心(本丸)から未来へと受け継がれていくことだろう。
名古屋城本丸御殿
https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/guide/honmarugoten
画像提供:Nagoya Convention & Visitors Bureau