Connect
with Us
Thank you!

PAPERSKYの最新のストーリーやプロダクト、イベントの情報をダイジェストでお届けします。
ニュースレターの登録はこちらから!

「みづゑ」に込めた山への思い|大下藤次郎

吉田博、丸山晩霞、中村清太郎、茨木猪之吉、足立源一郎、大下藤次郎。明治生まれの風景画家だった彼らは、描きたい風景を求めて旅をし、山に登った。昭和11年に「日本山岳画協会」を創設させた主要メンバーでもある。しかしそのなかに […]

01/14/2012

吉田博、丸山晩霞、中村清太郎、茨木猪之吉、足立源一郎、大下藤次郎。明治生まれの風景画家だった彼らは、描きたい風景を求めて旅をし、山に登った。昭和11年に「日本山岳画協会」を創設させた主要メンバーでもある。しかしそのなかに大下藤次郎だけが含まれていない。明治44年に42歳の若さでこの世を去ったからである。
明治3年、東京の商人の家に生まれた大下は、22歳で画門を叩いた。画家を志すのは遅かったが、持ち前の勤勉さと決断力と実行力で着実に実力を伸ばしていった。油絵も描いたが、旅が多くなるにつれて携行しやすい水彩画が多くなった。絵が旅のおもしろさを教え、自然の美しさと不思議さを教えた。彼はより深い山のなかへと足を向けていく。明治40年には創設されたばかりの「日本山岳会」に入会し、同会の機関誌『山岳』の表紙や口絵を描いた。几帳面な性格だったため、ことあるごとに旅の記録を文章に綴った。水彩画と紀行文からなる著書『水彩写生旅行』の一編「尾瀬沼」は、尾瀬の美しさをビジュアルとして初めて紹介したものとして知られている。感銘を受けた平野長蔵(尾瀬沼畔に建つ長蔵小屋初代主人)は大下を偲んで小屋の片隅に記念碑を立てた。また、大下は水彩画の技術書を数多く著し、美術誌『みづゑ』を創刊させた人物でもある。「みづゑ」とは「水絵」、つまり「水彩画」のことだ。日本における水彩画のパイオニアとしてその発展に尽力した。
「西洋画」が日本に持ちこまれた明治。同時代に輸入された近代登山と重なりながら、大下藤次郎はまだ世の中に知られていない自然の美しさを「みづゑ」にしたためた。独創的ではない。もの静かな彼の水彩画に心惹かれるのは、山の風景がもつ普遍的な美しさを人々に伝えようとした、実直な眼差しが感じられるからなのかもしれない。
※ Mountain Clubキャプテンの成瀬洋平さん「インクの水絵」展が開催されています。1月14日〜22日まで、岐阜のパン屋・カフェ「Cultivateur(キュルティヴァトゥール)」にて。http://d.hatena.ne.jp/naruseyohei/20120112