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ニッポンの魅力再発見の旅 伊勢・鳥羽

誘われたきっかけは、鳥羽・答志島。北緯34度32分の太陽の道の上にあり、太陽信仰との関係説もあるここは、四季を通じて海産物が豊富。かつて魚介類を神宮に納めていた歴史もあるのだとか。それでは、伊勢・鳥羽をめぐるニッポン旅へ […]

08/18/2015

誘われたきっかけは、鳥羽・答志島。北緯34度32分の太陽の道の上にあり、太陽信仰との関係説もあるここは、四季を通じて海産物が豊富。かつて魚介類を神宮に納めていた歴史もあるのだとか。それでは、伊勢・鳥羽をめぐるニッポン旅へ出港です。
日本列島という島国に暮らす私たちは、どうにも島という存在に旅情をかきたてられることがある。鳥羽、佐田浜港から市営の定期船に乗り込んで向かったのは、約2,300人が暮らす、伊勢湾最大の答志島。
その日、海女小屋で彼女たちは午前の潜りを終え、体を温めていた。「今日はちょうど漁の解禁日でね。でも、まだ海は寒い寒い。海女なんて、好きじゃないとできないよ」。74歳、73歳、51歳、48歳のレディたち、隣りの小屋には80歳を越えるベテランもいる。口開け、と呼ばれる6月の解禁日から8月の盆のころまで、アワビやサザエ、ウニや貝を採る。母の背中を見て育った。もっともっとうまく採れるようになりたい。はつらつとした表情で話す様子に引き込まれる。「私たちは、まーだまだ。母のように舟から潜るのは難しい」30年以上も潜る浜口てるみさんも、現役の母・叔母の姿を、妹とともに追っていると話す。 母と娘の愛すべき民俗文化が、美しい笑顔とともに、続くことを願うばかりだ。
漁師の濱口満さんからは、聞き慣れない〈寝屋子〉の話を聞いた。島に伝わる独特の文化で、中学を卒業した男子=寝屋子を、地域の世話役の大人=寝屋親が預かって面倒をみるという風習だ。数えで15歳の長男を毎日、寝屋で寝起きをさせ、漁のいろは、食事や結婚まで責任をもつ。いわば実の父子・兄弟以上の契りを結ぶような、かつて農村や漁村でごく当たり前にあったこの制度が、今も唯一残っているという。「娘さんのいる家に遊びにゆく〈娘あそび〉なんかも教えたもんよ。今では月に一度泊まるんがせいぜいだけど、時代が変わっても続いている。だから答志には、絆がある」。人手がいるときは、寝屋子が駆けつける。生涯にわたって互いを思いやる仲間がいるという、島民の誇りと自信を感じる生き方にふれた。
橋本好史さんは、和具と答志のなかほどにある美多羅志神社、神祭で知られる八幡神社、両神社の宮司。豊かな海の幸に加え、海の関所も置かれていたという答志島を拠点とした伊勢の豪族は、壬申の乱で天武天皇(大海人皇子)の勝利に貢献。そのことは、神宮の権威を高めることでもあったと話す。鳥羽国崎で採れるアワビは、今も御料鮑調製所で熨斗鮑として献上されている。それは、鳥羽市全域と志摩を含んでいた当時の答志郡の勢力の強さを感じさせるものでもあった。
米づくりをする弥生人が、お祭りを行う場所としてごく自然に行き着いたのが、森。まさに内宮のある五十鈴川のほとりを鎮守の森としたのも、縄文の森の記憶が導いたのだと、書籍『伊勢神宮のこころ、式年遷宮の意味』(注)にある。またお祭りには、神を招いてその勢いをなぐさめるためのお供え物、歌や舞の奉納に加え、たてまつる=献上するの意があり、それこそが千五百年以上にわたって神宮が、一日も欠かさずに行う「日別朝夕大御饌祭」なのだと、理解を深めることができる。
気が遠くなるようなこの神事において、毎日使う素焼きの土器も米も野菜も、そのほとんどが自給を原則としている(一部の海産物や酒など、外から奉納されるものもある)。そこで、太古から大切なお供えとされてきた米・塩・水のうち、御塩が採取されている二見町を訪れた。海水に淡水がすこし混入するほうが良い塩ができるという理由から、五十鈴川の河口の堤防に接したところにある御塩浜。ここで7月の土用、炎天下に約1週間かけて塩水を採り、その1km北東の御塩殿神社の裏手にある御塩汲入所へ運ばれ、そのすぐ東の御塩焼所にて、鉄の平釜で焚き上げて荒塩にする。これらは、9月にいよいよ御塩殿で手製の三角形の土器につめて焼き固められる。堅塩の総数は200個。この御塩は、10月中~下旬にかけて行われる一年でもっとも重要なお祭り・神嘗祭から、お供えとして捧げられるだけでなく、お清めの塩としても使用される。
二見浦は、古来より神宮への参拝者が心身を清める禊の場とされてきた。明治時代には日本で初めて公認の海水浴場となり、温浴をしていた様子を描く文献も残っているという。潮浴び=海水浴は当時、健康や病の回復のためでもあった。「銭湯のルーツも、伊勢与市が潮浴びにヒントを得て、日本橋で始めた蒸し風呂。その潮浴びの再現として朝と夕の1日2回、二見浦で海水を汲んで沸かしています」と話す旭湯の三代目・酒徳覚三さんは、50歳で潮浴びの再現を決意して現在74歳の現役。月に2度のお休みの日以外、おもてなしの心で汲み続けている。
午後3時を過ぎたころ、外宮を訪れていた私たちの前に現れたのは、まさに神饌をお供えに向かう神職。静寂のなか、御饌殿の扉を開閉する音が響く。神宮にまつわる話、聞けば聞くほど興味が尽きることがない。
(注)筆者の小堀邦夫氏は、現・伊勢神宮禰宜。神宮司廳綜合企画室兼広報室長
 
PAPERSKY ツール・ド・ニッポン in 伊勢・鳥羽(2015.9.26-27開催)
http://archive.papersky.jp/tour/ise-toba
PAPERSKY Tour de Nippon in 伊勢・鳥羽 Movie
https://youtu.be/UAXWrghEkOw
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