音の旅人、細野晴臣 インタビュー

まず、彼のディスコグラフィを俯瞰してみよう。アメリカの西海岸ロックの影響を受けながらも、日本語のロックを確立したはっぴいえんど(70〜73)。詞・曲にハリウッド経由の目線を借りて東洋を再発見したソロ名義の『泰安洋行』(7 […]

09/02/2013

まず、彼のディスコグラフィを俯瞰してみよう。アメリカの西海岸ロックの影響を受けながらも、日本語のロックを確立したはっぴいえんど(70〜73)。詞・曲にハリウッド経由の目線を借りて東洋を再発見したソロ名義の『泰安洋行』(76)などのエキゾチック・サウンド時代。そのサウンドをクラフトワーク仕込みの電子音楽と合体させ、ディスコへと昇華したYMO(78〜83、93)。ポップ・ミュージックのルーツを地球規模で深く掘り下げた『オムニ・サイト・シーイング』(89)。ホソノ謹製のレコード/CDを聴けば、リスナーの心は国境を、いや、時代も越えて旅することができるのであった。
さらにレーベル・プロデューサーとしての活動を見渡せば、82年から¥ENレーベル(戸川純らがいた)、84年からノン・スタンダード(ブレイク前のピチカート・ファイブなどがいた)、そして96年からデイジーワールド・ディスクを主宰してきた。中でもこのレーベル、第2期のモットーは“Cruisin’ Around The Unknown Sound”で、2002年春から始まった第3期の合言葉は“Keep Listening, Keep Searching!”。中原昌也をはじめとして参加アーティストたちの音楽的冒険の背中を押しているのだ。
「今の日本の音楽状況とデイジーに所属する<特殊>音楽家たちのギャップは凄いんです。それをどう埋めるか。世界的には<特殊>ではない動きなんです、センセーショナリズムとは違うところで起こっている。一見地味だけれど、音楽的には一番楽しい豊かな世界。商業ベースで成功しないと振り向いてくれない日本の音楽業界の中で、デイジーは奇跡的に継続しているから、その火は消したくないなと思っているんです」
夏には高橋幸宏とのバンド、スケッチ・ショウの新譜、来年には待望のソロ・アルバムのリリースも予定されている。細野晴臣の<未だかつて聞いたことがない音楽を探す旅>はこれからもまだまだ続くのである。
という次第で、細野晴臣には東京にいながらにして世界とつながっているイメージがある。細野さんのソウル・メイト、久保田麻琴さんの<欲しい音があれば即現地へ飛ぶ元祖・トラベラー>ぶりと比べると、<音のアームチェア・ディテクティヴ>とでも呼びたい態度に見える。ところがホソノ氏、実はけっこう<物理的な旅>もなさっている。
「大滝詠一と久保田麻琴のちょうど中間くらい(笑)。適度に旅をしていないと、僕はダメなんですよ。だから、今はいささかイラついているんですよ」
はっぴいえんどのラスト・アルバム『HAPPY END』(73)@LA音源を皮切りに、数々の<音の旅>をなさった細野さんにとって一番印象に残っているのはどこだろう。
「やっぱりYMOの強制的なワールドツアーだね。アメリカはツアーじゃなかったけど、ヨーロッパは一周。いきなりグラスゴーから初めてイギリス各地を転々として、イタリア、ドイツ、オランダ、ルクセンブルグ、パリ。あとどこ行ったっけ? 北欧もだ。ライヴやってホテルに一泊して、朝起きたら次の場所へ。いわゆるワンナイト・スタンド」
国内ツアーの悲哀を歌った「CHOO CHOO ガタゴト」(73)の欧州版ですか。
「そう。でも、反応がすごいんだ。やってる甲斐がある。おかげでYMOの自己イメージを作ることができた。たとえば、ロンドンじゃ演奏自体は失敗したの、コンピューターがぶっ壊れて。ところが盛り上がって、ホテルへ帰る時、ニューウェイブ・ギャルにおっかけられたの。頬っぺにチューもされた(笑)」
まるでビートルズの映画、『ハード・デイズ・ナイト』みたいだ。
「あんなにモテたのは最初で最後だった(笑)。あのままイギリスにいればよかったかな」
そう言えば、横尾忠則さんとインドで『コチン・ムーン』(78)を作りましたよね。
「初対面の横尾さんに誘われて。下痢をしたくて行ったんですよ。横尾さんの本によると、カルマを浄化するとは体でたとえれば下痢だと。インドへ行けば必ずなると。でも、行くと気をつけるんだ、体が嫌がるから。でも、なっちゃう。それがインドなんです」
仕事や知り合いから<巻き込まれ>る。それもまたよし、という感じなのだろうか。
「うん。<巻き込まれ>て行くのが多い。そういうのを利用しないと、ホント出不精なんで。自ら旅へ行くのは島だね。海が好きだから。ハワイやタヒチなどのリゾートとか」
ところで、近々ハリー細野氏に<洋行>の予定はないのかしらん。
「今度ね、クィーンエリザベス号が復活するんだって。処女航海で世界一周するらしい。誘われているんだけど、すぐ飽きそうな気がして。だいたい僕が乗ったら沈むかもしれない」
確かに。細野さんのお祖父さんはあのタイタニック号から奇跡的に助かった1人だったからして。楽団として乗船するのは? 細野さんファンが貯金をはたいて乗るかも。
「あ、それいいかな。でも、沈没したら最後まで演奏してなきゃならない(笑)」
※ このインタビューは『ペーパースカイ』No.1(2002年)に収録されたものです。
インタビュー:川勝正幸
細野晴臣さんによる「音の細野道 “Journeys on The Musical Saucer”」は、本誌No.6〜No.18(2003年夏号〜2006年夏号)にて連載。

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