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100年前のアブサン|PAPERSKY book club

先日、バーテンダーの知人がフランス人のオールドボトルコレクターを連れて遊びに来てくれた。ひととおり案内した後、知人はおもむろに100年前のアブサンを取り出した。ところがラベルには「Absinthe(アブサン)」とはどこに […]

08/31/2017

先日、バーテンダーの知人がフランス人のオールドボトルコレクターを連れて遊びに来てくれた。ひととおり案内した後、知人はおもむろに100年前のアブサンを取り出した。ところがラベルには「Absinthe(アブサン)」とはどこにも書いていない。代わりに「extrait(抽出物)」と曖昧な名称が書かれている。その時期、フランスではアブサンの製造・販売が禁じられていた。それでも飲みたい人々に、メーカーは別名で同等品を売り出した。裏を返せば「Absinthe」と書かれていないことが100年前につくられたことの証しであるという。いったいアブサンはなぜ禁止され、なぜ名前を隠してまで人々は飲みたがったのだろうか。
「アブサンの文化史」は謎に満ちたアブサンの文化的な側面にフォーカスした一冊だ。もともとアブサンとはワインや蒸留酒にニガヨモギを浸した酒で、万能薬として飲まれていた。1792年、その酒を現代風に飲みやすくして「緑の妖精」とコピーをつけて売り出されたとき、歴史が変わった。軍の配給品になるなど追い風もあり、フランスの若者たち、特に詩人や画家に愛された。たとえばアルチュール・ランボー。その日暮らしの稼ぎはカフェでの飲み代に消えた。彼にとってアブサンは、神経を研ぎ澄まし、詩を生み出す手段だった。ロートレックは「彼の絵画はすべてアブサンの力を借りて描かれた」と評され、彼に物思いにふけりながらアブサンを飲む姿を描かれたのはファン・ゴッホ。20歳で「アブサンを飲む女」を発表したパブロ・ピカソもいる。パリのボヘミアン芸術家たちはアブサンを「聖水」と呼び、カフェで過ごす時間を「緑の時間」と呼んだ。一方で医者たちはアブサンの健康被害を訴えた。当時アルコール依存症という考えはなく、医者たちはニガヨモギに含まれるツヨンが、病気を引き起こし、精神錯乱、記憶喪失、発作、犯罪へと駆り立てると訴えた。その後の経緯は本書に詳しい。
さて、100年前のアブサンに話を戻そう。ボロボロに劣化したコルク栓を専用の道具で慎重に抜く。グラスに注ぐと美しいエメラルド色。口に含むと、フレッシュな甘いアニスの香りとニガヨモギのかすかな苦味が広がる。100年の時間がゆっくりと今に展開した。
アブサンの文化史: 禁断の酒の二百年
バーナビー・コンラッド三世 著/浜本隆三 訳
白水社