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伝説のクライミング・フィルム『エル・キャピタン』

フリークライミングの世界で、ヨセミテが「聖地」と呼ばれるほどの扱いを受けているのは、世界最大の垂直な花崗岩の一枚岩「エルキャピタン」が存在するからだろう。古くは19世紀末から近代的登攀が試みられてきたこの地は、1960年 […]

06/22/2010

フリークライミングの世界で、ヨセミテが「聖地」と呼ばれるほどの扱いを受けているのは、世界最大の垂直な花崗岩の一枚岩「エルキャピタン」が存在するからだろう。古くは19世紀末から近代的登攀が試みられてきたこの地は、1960年代にはイヴォン・シュイナードやロイヤル・ロビンスといった先鋭的クライマーたちの手によってクライミングの世界最先端の地となった。ビートやヒッピーといったカウンターカルチャーがアメリカ西海岸を中心として爆発的に開花した時代、社会からドロップアウトして生活のすべてを「壁に登ること」だけに費やす熱狂的クライマーたちがヨセミテに出現しはじめ、日々ひたすら登攀に挑む彼らはクライミング・バム(浮浪者の意)と呼ばれた。
そんなヨセミテの「バム」たちの姿を捉えた映画が存在するとの噂を聞いて、サンフランシスコの小さな映画配給会社を訪ねた。その名も「キャニオン・シネマ」。ほどなくして、例の映画『エル・キャピタン』を監督したフレッド・パドゥラが現れ、インタビューに応えてくれることになった。映画は、当時のヨセミテで活躍した3人の名クライマー、ゲーリー・コリヴァー、リチャード・マクラクラン、リト・テハダ・フローレスたちがエルキャピタンの断崖絶壁を登攀する姿を、現在は世界的なクライミング写真家として知られるグレン・デニーが撮影したドキュメント作品である。当時のクライマーたちの動く姿を捉えた映像はきわめて貴重なものであり、歴史的資料としてたいへん価値のある作品だ。
「1960年代、私は写真学校の教師で、グレンは生徒だったんだ。私はクライミングはしないが、グレンは当時すでにヨセミテでクライミングをしていたので、彼の仲間たちを映画に撮ろうと考えた。6ヵ月間話しあって撮影計画をつめ、68年の6月頃に撮影がスタートした。当時、彼らはエルキャピタンの頂上まで通常3日間で登っていたが、あの映画では6週間もの間、ずっと撮影を続けたんだよ。とても暑い時期だったから、クライマーたちにとって非常に過酷な撮影だった。アルバイトのクライマーたちが、岩の上で待つ彼らに水や食事を運んだりしたよ。撮影しては現像をして、また撮影に入るというハードなスケジュールで、クライマーたちは長期間登り続けたために極度に疲労していた。ゲーリーは一度落ちてしまって、彼だけ3週間ほど休養をとらざるを得なくなったこともあったんだ」。
撮影のために何度も同じルートを登ったり、ひとつの場所で長時間じっとしているような登攀は、普段のクライミングではあり得ないため、クライマーにとっては大きなストレスのかかる撮影だったが、主演の3人(とデニー)はその苦行を何とか耐えしのいだ。
10年の時を経て、フレッドの手により編集され、『エル・キャピタン』は完成を見た。そのフィルムには、朝日を浴びて輝く荘厳なエルキャピタンの岩肌や巨大な月を背負うように登攀するクライマーたちといったスピリチュアルで幻想的なシーンがふんだんに盛りこまれ、また黛敏郎による現代音楽のサウンドトラックも配された、アートフィルム的要素の濃い作品として仕上げられている。完成後は日本を含む世界中で公開され、イタリア・トレントをはじめとした多くの映画祭でグランプリを受賞している。
今日もヨセミテに集い続ける、現代の「バム」たちのルーツが生まれた時代を克明に捉えた、本作の独特の映像美の世界は、「壁登り」を描いたドキュメンタリーがアヴァンギャルドな実験映像で有名な配給会社のラインナップに紛れこんでいることの理由を伝えている。「サンフランシスコはアートを呼び寄せる、マジカルな土地なんだ」と語る同社代表アングレイムの言葉通り、『エル・キャピタン』はこの地だからこそ生まれ得た、魔法ともいうべき、奇跡の映画なのだ。
This excerpt originally appeared in Papersky No. 32 (Yosemite).
【動画】
The making of the film “El Capitan” プレッド・パドゥラ監督インタビュー