擦りながら無に近づく|望月苔雲|雨畑硯 3

暮れゆく日のなかで黒く濃い輝きを放つ。雨畑原石でつくられた硯に少しだけ入っている墨。望月苔雲が竹炭と溶かした魚の骨を混ぜ、乾燥させて固めた特別な墨である。床の上に広げた長い紙の上を筆が走り、言葉、詩、格言などが太い線で現 […]

09/16/2011

暮れゆく日のなかで黒く濃い輝きを放つ。雨畑原石でつくられた硯に少しだけ入っている墨。望月苔雲が竹炭と溶かした魚の骨を混ぜ、乾燥させて固めた特別な墨である。床の上に広げた長い紙の上を筆が走り、言葉、詩、格言などが太い線で現れる。「大好きな言葉がたくさんあります」と望月が笑う。自の前の紙の山を探し、ようやくお目当てのA3サイズほどの大きさの紙を見つけた。彼の好きな言葉を書きだしたリストである。望月は山梨県で、書道家として、また書道の指導者として尊敬を集めている人物だ。書道(硯も)は、日本の伝統文化の例にもれず、インドを起源としている。紀元前2世紀には、すでに亀甲、木、骨などに象形文字が刻まれている。こうした象形文字はインドから中国に伝わり、そこで書文化として急速に花開いた。それから韓国を経由して日本に伝来し、日本の事情に合わせて姿を変え、独自の形に発展していく。文字を書くためには道具がいる。中国人は書の道具である筆墨硯紙のことを、学問の四つの宝、「文房四宝」と呼んだ。この宝のなかでいま、もっとも危機に瀕しているのが硯である。「まだ日本中の学校で習字を教えていますから、書道文化がすぐに死に絶えるということはないでしょう。1940~60年代には、私も習字を教えていました。けれども硯づくりは本当に衰退しており、とくに雨畑硯は風前の灯です」と望月は言う。最近は村人より猿のほうが多い雨畑村だが、にぎやかな時代もあった。
「私が若かったころは、雨畑村の近くの山々に1万人くらい住んでいました。当時はみんなで一緒に川で水浴びをしたものです」。
望月はそのころから書道を真剣に学びはじめた。けれども書に最初にふれたのは、父が望月とほかの子どもたちを呼ぴ、美しく書かれた文字を見せてくれたときだった。
「文字はこんなふうに書くもんだ、と父は言いました。いまでもよく覚えています」。長い年月を生きてきた、現在95才の望月苔雲は、いろいろな時代のできごとや思い出を昨日のことのように話す。これほど長い人生のなかでは多くのことが移り変わるが、変わらないものもある。半紙に向かい、雨畑硯に入った墨に筆をひたすとき、望月はかならず、いつも同じ瞑想の状態に入るようにするという。「私の書く文字は私の人生そのものです。これまで経験してきたあらゆることがこの一瞬に結実し、心が無になっていく。その出発点が硯です。そこにあるのは動いている私の身体と硯だけ。なにも考えません」。
ヴィラ雨畑
山梨県
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