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いにしえの技を現代へ – 炎に焼かれて|備前焼 1

岡山の伊部に広がる田んぼの下には、粘土層が走っている。かつて備前国と呼ばれていたこの地方の陶工たちは、千年以上にわたって鉄分の多いこの土を掘り起こし、釉薬を使わない焼き物「備前焼」をつくってきた。備前焼は日本六古窯のなか […]

05/20/2020

岡山の伊部に広がる田んぼの下には、粘土層が走っている。かつて備前国と呼ばれていたこの地方の陶工たちは、千年以上にわたって鉄分の多いこの土を掘り起こし、釉薬を使わない焼き物「備前焼」をつくってきた。備前焼は日本六古窯のなかでももっとも古く、尊重されている焼き物である。
一万二千年前に日本で最初の陶器がつくられた。この縄文式土器と呼ばれる焼き物の破片(茶碗や鉢など)は、考古学者らによって日本全国から発掘されている。岡山の伊部には、この土器の破片を彷彿させるような陶器が今日も生きている。備前焼というこの焼き物は、現在もつくられている日本の陶器のなかでもっとも古い。約千二百年前の平安時代に朝鮮半島から伝わった六古窯のうちのひとつである。
私たちは備前にある森本英助の家を訪れた。前に座っている彼は、備前焼の名工だ。髪は白髪、足にはサンダルをひっかけ、作務衣を身に纏い、見るからに職人らしい人物である。 彼の愛犬タケが主人の寡黙さを補うかのように吠えたてるなか、森本の話を聞いた。「いまは現代美術がもてはやされているから、なおさら伝統的な美術に回帰したくなります」。森本は荒川豊蔵先生をとおして伝統主義を深く愛するようになっただけでなく、「昔ながらのやりかたを自分のスタイルに合わせてアレンジする」ことの重要性も学んだという。
彼は茶碗をひとつ持ちあげた。 こげ茶色の月に被さるように赤い円が描かれ、その上を青い線が走り、銀色の縁と黒い内側まで伸びている。「ただ赤い色を出すのは簡単だけど、渋みのある赤色を出すのはすごく難しいんだ」。私たちは森本に案内されて庭から続く小道を歩き、彼の工房に入った。そこには四つの仕切りが設けられた彼の登り窯があった。泥を固めてつくったアフリカの小屋のようだ。「焼き物の仕上がりは窯で決まるね。窯が新しいうちはなかなか思うようにいかないけど、二年ほどすれば、かなりうまくできるようになる」。三十五年ほど前に完成した登り窯には、年に一度しか火を入れない。一年の間に仕上げた焼成前の壺、茶碗、花瓶などが、窯のなかの各部屋に藁を挟んだりして、重ねていく。この重ねかたによって焼き色の入りかたが変わってくるという。「焼成中はずっと高温を保たなきゃならない。六時間ずつ交替で一日中、十日間にわたって薪を燃やしつづけるんだ」。
釉薬をいっさいかけず、絵つけもしないのが備前焼の特徴。その色は自然釉と呼ばれ、土の自然の色を高温で長時間焼きあげることによって引きだしていく。「好景気のころはよく売れたけど、いまはあまり売れないな」。最近の人々は財布の紐を締めているといわれるが、森本はあまり気にしていない。「いま備前焼を買う人は、昔より価値を理解してくれているから」。彼は作品を芸術品としてではなく、日常生活のなかで使い、喜んでほしいという。「私の焼き物でビールを飲んだり、漬物やごはんを食べたり、そんな日々の生活で使ってもらえたらなによりも嬉しいね」。